前回、時刻表 大正14年(1925年)4月号の玉川電気鉄道を見たが、今回は時期は10年ほど下るが、昭和10年前後の玉川電気鉄道路線図を見てみよう。
この4~5年後に、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併されてしまうことから、玉川電気鉄道にとっては最末期の自社発行路線図となるが、発行当時は当然、合併されるなどと思っていなかった。路線は随時拡張し、電気事業(当時は統制されていなかった)も順調、渋谷駅には玉電ビルを建設予定と業績に陰りはなかったからだ。
しかし、この路線図をよくよく見ると、あって当然と思われるものが記載されていないことに気付く。省線である山手線はもちろんだが、開業直後の帝都電鉄、そして京王電車、小田急、南武電車(まだ私鉄だった)が見えるのに、渋谷から発着する東京横浜電鉄線や玉川で乗り換える目黒蒲田電鉄大井町線が載っていないのだ。無論、渋谷駅直結の東横百貨店もない。そう、五島慶太率いる目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄グループに関係するものが見当たらないのである。
このことは、既に玉川電気鉄道が目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄グループを敵視していたものと考えられるが、先にもふれたようにまさか4~5年後に合併されるとまでは思っていなかっただろう。そんなことを路線図から見つつ、今回はここまで。
玉電沿線案内図ありがとうございます。沿線には知人も多く遠くは砧線の吉沢の友人宅を訪ねたり色々な意味で想い出が多い線でした。
家庭用電気をも収入源としていた玉電は五島慶太の軍門に下りましたが、東横線の駅名である府立高等が記載されているのに、路線が記載されていないのは敵意の表れでしょうか。
投稿情報: 木造院電マニア | 2015/11/04 21:22