前回の続きです。
Windows 2000が、Windows 9x系との統合を諦めたその日から、Windows XPの開発は始まった。開発コードネームはWhistler。次世代Windowsとも言われた開発コードネームCairo等、他プロジェクトが数多ある中、最優先で取り組まれた。2001年2月5日(現地時間)、Microsoft社はWhistlerをWindows XPと命名した。ここより、Windows XPの歴史は始まったと言っていいだろう。開発目標が他プロジェクトよりも明確化されていたこともあって、OEM向けには2001年10月25日(北米は一般向けも含む)、一般向けには同年11月16日にリリース(日本語版)された。
今でこそ、皆に愛される(苦笑)Windows XPだが、登場当初は散々だった。最近では、Windows 8への移行がいまいちなどと言われるのと同じように、盛り上がりに欠け、また実際に移行するユーザーはそれほど多くはなかった。理由は簡単で、Windows 2000がリリースされて3年弱だったことや、プロダクトアクティベーション(ライセンス認証)への反発などが大きかった。今では、当たり前のように行われているプロダクトアクティベーションだが、この頃は悪の帝国(笑)Microsoft社に「ユーザー情報を渡すなどあり得ない!」というような雰囲気だったのである。
Lunaインタフェース(製品版は青空と草原の壁紙がデフォルトだが、ベータ版までは製品版にも付いていた砂漠と空に浮かぶ月の壁紙で、これよりLunaと称された)とも呼ばれたGUI(スキン)も散々な評判だった。マーブルブルーとグリーンとオレンジで構成された色合いは、ビジネスに向いていないと酷評され、これを被せないで利用する方法も好まれた。今では気にならないが、当時はこれを被せることでグラフィックスパフォーマンスが目に見えて落ちたからである。
一般には不評だったWindows XPだったが、私自身はどうしても使いたくて仕方がなかった。Lunaインタフェースがいいとか、完全なWindows 9x系との互換性が維持されているとか、そんなあり得ない理由からではない。それは、OSレベルでHyper-Threadingテクノロジへの対応が実装されていたからである(ただし、Professional版以上)。Hyper-Threadingテクノロジは、CPUリソース(演算ユニット等)の有効利用のためにIntel社が導入した、一つのCPUコアに二つの仮想的なCPUコアがあるように振る舞う仕組みである。最初に物理的に実装されたのは、FosterコアのXeonだったが、有効(Enabled)にされたのは次のPrestoniaコアのXeonからとなる。
私は、PrestoniaコアXeonを搭載したPCを自作していたこともあって、いち早くHyper-Threadingテクノロジを試したかった。おそらく日本国内では最初の10人に入るであろう製品版での体験を果たし、その効果を実証できた。得た結論は、NetBurstマイクロアーキテクチャは無駄が多く、Hyper-Threadingテクノロジを駆使したとしても、CPUリソースをうまく利活用できないことだった。特に、メモリサブシステムには高速なものが必要であり、NetBurstマイクロアーキテクチャを実装したPentium 4が高速なDirect Rambus DRAMを求めたのも必然と言ってよかった。この体験が、のちのBanias(初代Pentium M)への傾倒につながったのは言うまでもない。
と、横道に逸れた。Windows XPはOSレベルで初めてHyper-Threadingテクノロジへの対応を実現したほか、今では比較にならないが、これでも当時は高速起動を実現していた。そして、Haswell搭載Mobile PCとWindows 8.1との組み合わせと比べることすら失礼だが、これも当時としては画期的なレジューム機能にも対応した。
とはいえ、最初にふれたように一般ユーザーには訴求されず、企業ユーザーからもWindows 2000でいいよという格好であって、なかなかWindows XPへの移行は進まなかったのだった。
Windows XPの大きな転機は2003年に訪れる。それは外部からのもので、Nimda、Blaster、SasserなどといったWindows XPの脆弱性を突く形で、いわゆるコンピュータウィルスからの攻撃を受け続けたことによる対抗策だった。
と、いったところで、今回こそ後編へ続く。
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