前回の話題の続き(続くと明言していなかったが)。荏原郡碑衾町で新たな字名として昭和5年(1930年)に正式に起立したものが、そのわずか2年ほどあまりで消えたものがあるとしたが、それを図で示すこととしたい。早速、以下をご覧いただこう。
昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡82町村を合併し、いわゆる大東京が誕生したが、この時、荏原郡碑衾町は隣接する同郡目黒町と合併し、東京市目黒区を構成する。この新たに成立した目黒区と周辺区の境界を赤い線、橙色の点線を碑文谷耕地整理組合施工地の範囲、黄色い線は目黒区内の町丁境界線を示す。前回示したものと大きな違いは、
- 目黒区内の耕地整理施工隣接地にあった字名(池ノ上町、門前町、八幡町、寺西町)が、耕地整理未実施地と組み合わされ、新たな町丁名が付与された。
- 向原町が旧門前町の一部を町域に加えた。
- 金杉町が隣接する東町に合併された。
- 高木町一丁目及び二丁目が、高木町及び富士見台に名称変更された。
- 原町一丁目及び三丁目が、原町に名称変更された。
- 原町二丁目が目黒区内の洗足田園都市地域と合併し、洗足に変更された。
となる(詳細は前回記事などを参照)。他にも細かい点に違いはあるが、今回は時間がないので一旦ここまで。
コメント