広域避難場所は災害等が発生した場合、特に大きな災害(通常は大地震による火災を想定)となった場合、一時(一次)避難所からさらにその先の避難となった際の避難場所として位置づけられている。ところが、あの東日本大震災を経て、広域避難場所に変化が表れてきている。
これは、神奈川県横浜市の「みなとみらい臨港パーク一帯」の広域避難場所を示す案内板だが、2か所に切り貼りの跡が見える。
一か所目は「津波のとき、ここは危険!」
避難場所として指定していながら危険だと強調するのは本末転倒でしかないが、このエリアは海抜約4.5メートルほどでしかなく、東日本大震災以前にはそんなことは眼中になかったことがわかる。役所的言い逃れとしては、「地震による火災のために用意した避難場所であって、大津波が発生した場合は想定外であり考慮していない」となるのだろうが…。何にしても、この切り貼りが興味深いのは、看板自体は英語のほか、中国語、ハングル対応しているにもかかわらず、日本語のみだという点にある。
二か所目は「地震による大きな揺れを感じたり、津波警報などの情報を得たときは、直ちに避難することを判断し、①海抜5m以上の高台又は②鉄筋コンクリート若しくは鉄骨鉄筋コンクリート造の頑丈な建物の3階以上を目安に避難してください。」と、より具体的な指示が切り貼りで追加されているが、これも日本語のみである。
結局のところ、この広域避難場所が避難場所として機能するかどうかは、津波如何で決まるということであるが、それを判断するには震源等にもよるが、津波が発生するのか、発生したならいつ頃それが来襲するのか、一度だけなのか、などなど多くの判定要件が必要となる。確実に言えることは、大地震が起こった際、津波が発生した場合は「発生した」といえるが、「津波の恐れはない」と断定できるだけの情報は一定の時間を経てからでなければ何とも言いようがない。つまり、広域避難場所に行っていいのかという判断は下しようがないとなるのである。
当座の問題としては、継ぎ接ぎ看板の危うさでしかないが、中長期的に見れば広域避難場所の指定の再検討が必要だろう。もちろん、既に着手しているはずであるだろうが、お役所任せにしないことが第一なのは間違いない。そんなことを考えつつ、今回はここまで。
今回の大地震で防潮堤を閉め切るために100人以上の消防団員が犠牲となり、防潮堤も結局役に立たなかったことを見た時に、明朝時代に巨費を投じて万里の長城を建設しましたが、将軍の裏切りで何の役にも立たずに観光地になっていることを思い出しました。莫大な量のレンガを焼くために樹木を伐採したために砂漠化が始まり北京郊外迄せまっているとのことです。太公望のよう堤防を造らずに遊水池を造った発想は今日で生きていると思います。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/09/23 08:42