104ページ「大井町」
大井町線は、目黒蒲田電気鉄道の支線として建設された路線で、大井町駅は1914(大正3)年12月20日に開設された国鉄(当時は鉄道院)大井町駅と接続するターミナルとして建設された。
目黒蒲田電気鉄道が、正しくは目黒蒲田電鉄であることは先にもふれた。そして、大井町への接続は支線という位置づけではなく、そもそもは田園都市株式会社が最初に計画した路線の起点であり、様々な経緯で大井町線となったものである。
105ページ「下神明」
駅は高架線上に設けられており、線路が高架化されたのは駅のすぐ西側を走る東海道貨物線(品鶴線)をオーバークロスするため。1964(昭和39)年からは品鶴線に平行して東海道新幹線も建設されるなど、目蒲電鉄線のいち早い高架化が功を奏した形となっている。
大井町線は、先にもふれたように計画そのものは目黒蒲田電鉄のうちで最も古く(武蔵電気鉄道、池上電気鉄道出自のものを除く)、後発の計画である東海道貨物線が本来ならばオーバークロスすべきであった(池上線の御嶽山駅付近、東急多摩川線の沼部駅付近のように)。だが、大井町駅までの鉄道用地を鉄道省から都合よく等価交換方式で手に入れるための交換条件として、大井町線をコストのかかる高架としたのであり、「目蒲電鉄線のいち早い高架化が功を奏した形」というものではない。どうすればこんな解釈できるのかが、却って不思議である。
106ページ「荏原町」
地名の由来は、およそ700年前にこの地域の領主であった荏原左衛門尉義宗の姓が残されたという説があり、荏原郡、荏原区、荏原町という名称に残されている。(中略) 荏原町は品川区内の町名に残されているが、現在は旗の台駅、あるいは池上線荏原中延駅などが近く、この荏原町駅にしても、所在地の住所は品川区中延となっている。
阿呆か(馬鹿笑)。ホントにこの著者は歴史音痴(無知)だ。荏原の地名は700年前どころか、和名類聚抄や万葉集、続日本紀などに載っているだけでなく、出土物でも7世紀頃と目されるものがあり、どうしてこのような珍説を引っ張り出してくるのだろうか。無知というだけではない、何かとんでもなものに影響されやすい頭を持っているとしか思えない。
そして、荏原郡、荏原区、荏原町とまったく歴史的経緯も関係なく並列に列挙する感覚。知らないって罪だな、と感じてしまう。ここでも荏原町が「今日に言う地方自治体(市町村)の名と地方自治体に属する町(大字など)の名を、「町」という字が同じであることから混同したとしか読めない致命的な誤り」として書かれているが、加えて現行町名では荏原町ではなく単に荏原(荏原○丁目)であることも、他がとんでもレベルの誤りなので指摘するのも遠慮したくなる。
スイカを海に走りに行って舟で掘って山登りをしたくなったが、富士山では海と湖だった。←この珍文と同レベル。
107ページ「北千束」
住民の請願によって新設された駅で、駅の南にある千束神社に、源頼朝の愛馬とされた「池月」の銅像があることにちなんでつけられた駅名といわれる。
細かいが、千束神社ではなく千束八幡神社。また住民の請願に違いはないが、千束の地を通るよう大井町線のルート変更がされた際、目黒蒲田電鉄の用地買収に応ずる代わりに駅の設置が約束されたためとするのがよい。
107ページ「緑が丘」
「中丸山」とは奥沢の小字の名であるといい、中丸とは城の本丸を指している。
この説は「東京急行電鉄50年史」に載っているもので、多くの文献にはこれが引用されているが、これが実は誤りである。理由は、中丸山という小字ないし小名は奥沢に存在しないこと(中丸ならあるが、かなり緑が丘駅から離れている)。そして、駅の設置が衾東部耕地整理組合(概ね今の緑が丘一帯を耕地整理した組合)と協議されたこと、である。参考までに当blog記事「東急大井町線「緑が丘」駅の由来を「郷土目黒」に見る」をあげておく。
109ページ「上野毛」
多摩川の左岸(上流から下流を見る方向で左側の岸)には多摩川の河岸段丘があり、川崎の側からは、この一帯は高い崖のある地域に見える。川崎側には下野毛という地名もあり、上野毛と対になっていることが理解できる。
川を挟んで上野毛と下野毛だという説明にしたいようだが、これも現在の多摩川の流路から見た見識であり、かつての流路がどうだったかを知らない無垢な書き方である。それどころか、明治45年(1912年)の府県境変更によって著者のいう下野毛が神奈川県に移ったのであり、それ以前は東京府荏原郡に属していたことを知らないのではないか。そう思わずにはいられない表現である。
111ページ「世田谷」
現在は東京を代表する住宅地と目されている世田谷も、遠い昔には丘陵地帯ならではの起伏をみつけることができたのだろう。
これまで書いてきたとおり。歴史音痴ならではの書き方だ。
112ページ「上町」
駅名は所在地の世田谷区上町にちなんだもので、上町の由来は、鎌倉街道に作られた世田谷新宿が、上の宿(上町)と下の宿(下町)に分かれていたことによるという。
はて、世田谷区上町とな? そのような住所はありません。いわゆる俗称、小名。
──と、以上で全駅プロフィールにおける気になる点の列挙と指摘を終えるが、予想以上の多さで辟易した。もう書かないが、本書の資料編142、143ページにある「東急電鉄 各駅の開業年月日一覧」は駅名の変遷も紹介するが、見るに堪えないものとなっている。まぁ、これも公式が誤っているので仕方がないのだが、いつもと同じ結論で恐縮となるが東急電鉄は100年史編纂事業において、50年史の誤りを徹底的に正していただきたいと考える。といったところで、今回はここまで。
コメント