1票の格差による憲法違反判決が相次いでいるが、それについては各々議論があることだろう。また、0増5減か抜本改正かという議論も様々であるだろう。しかし、そもそも国会議員を選出する仕組みを国会議員そのものに任せているのが、おかしな構造だとは考えないのだろうか。(試験制度を試験を受ける側が作るというのと同じこと。)
すべてがそうだとはもちろん言わないが、選ばれる人が選ぶ仕組み作りに関与するというのは無理がある。性善説に立つのなら、問題とならない可能性はあるだろう。だが現実は我田引水の人達が集まり、利益誘導が当たり前のようにまかり通る世界であるので、選ばれる制度を合理的且つ公平に選ばれる人達が作ること自体、まったく不可能であることはこれまでの歴史の必然とも言える。理想は結構だが、既に崩壊していてまったく前に進む見込みもない(むしろ後退している)のだから、選挙制度を選ばれた国会議員が決めることは司法の言う「怠慢」どころの問題ではなく、もはや国会議員の手から奪う時期に来ている。
そもそも1票の格差、は小選挙区制の導入によって区画が細かく割れてしまったため、人口のアンバランスが生じやすい傾向にあることが原因である。つまり、小選挙区制は1票の格差が生じやすいので、この制度を維持するのであれば区割りを見直す仕組み、要は情状酌量の入らない細則をあらかじめ制度に組み込んでおかなければならない。これを行わずに小選挙区制を導入した人達は、一言で言えば愚か者でしかない。単に先送りと片付けるわけにはいかないだろう。
このことだけを考えても、0増5減が腐った先送りでしかないことは自明である。こんなものしかできない国会議員諸君に選挙制度改正などできるはずもないし、任せることなどできはしない。では、どこの誰に任せるのがいいのか。三権分立の建前からすれば、立法府の行動に制限をかけるべきは司法である。だが、司法に任せるというのもいかがなものかとは感ずる。機械的な仕組みを作ってそれを遵守させるべきか、小選挙区制を捨て去って1票の格差を生じさせにくい区割りにするか、それとも…。一朝一夕にはいかないが、間違いなく言えることは国会議員諸君に任せることよりはましだと言うことである。といったところで、今回はここまで。
イギリスも産業革命による人口動態学的変化に対応するように選挙法を改正したのが明治維新の頃で、これによりイギリスは活性化されました。日本人も維新の時の心意気で改正に取り組んで欲しいものです。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/03/27 08:33
コメントありがとうございます。
こう言っては何ですが、貴族院のようなものがないため、UKのような議会制度改革は無理だと見ます。衆議院も参議院も違いを見いだせない面々ですから。いっそのこと、まずは一院制にしたら…とおもうことしきりですね。
投稿情報: XWIN II | 2013/03/28 07:42
戦前の金融恐慌の時、台湾銀行救済の法案を否決して破滅的な事態を招いたのも枢密院でした。平成の時代ではこの誤りを繰り返さなかったのは幸いでしたが、モラルハザードの問題が残りますね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/03/29 11:27