今回は、東京ローカルではなく東京の都心、中央区銀座の拡大について簡単に見ていこう。まずは図から。
区界は現在のもので、千代田区及び港区と中央区の境を一点鎖線で表している。実線は現在の銀座一丁目~八丁目を合わせた、いわゆる「銀座」とつくエリアを示している。このうち、右上の最も濃い赤で示したエリアは、明治初期に新両替町から銀座に改称されたときに成立した最初期の銀座で、中間の濃さの赤で示したのは昭和初期に拡大された銀座一丁目~八丁目(旧)と銀座西一丁目~八丁目を合わせたエリアである。では、変遷を以下より列挙しよう。
明治2年4月29日(旧暦)改正
十二番組
- 与作屋敷、新両替町一町目を銀座一町目と改称。
- 新両替町二町目を銀座二町目と改称。
- 新両替町三町目を銀座三町目と改称。
- 新両替町四町目を銀座四町目と改称。
明治2年5月(旧暦)
十二番組
- 三拾間堀一町目を銀座一町目に編入。
- 三拾間堀二町目を銀座二町目に編入。
- 三拾間堀三町目を銀座三町目に編入。
明治11年(1878年)11月2日施行
京橋区成立。
- 銀座一丁目~四丁目。
明治22年(1889年)4月11日施行
東京市成立。東京市京橋区。
昭和5年(1930年)3月4日施行
- 南紺屋町の一部を銀座一丁目に編入。
- 弓町の一部を銀座二丁目に編入。
- 鎗町の一部を銀座三丁目に編入。
- 三十間堀一丁目及び西豊玉河岸、鎗町の各一部を銀座四丁目に編入。
- 元数寄屋町四丁目、尾張町一丁目、三十間堀二丁目及び南鍋町二丁目、西豊玉河岸の各一部を銀座五丁目と改称。
- 尾張町二丁目及び南鍋町二丁目、三十間堀三丁目、西豊玉河岸の各一部を銀座六丁目と改称。
- 竹川町及び南鍋町二丁目、出雲町、三十間堀三丁目、西豊玉河岸の各一部を銀座七丁目と改称。
- 南金六町及び出雲町、西豊玉河岸の各一部を銀座八丁目と改称。
- 南紺屋町、西紺屋町の各一部を銀座西一丁目と改称。
- 西紺屋町、弓町の各一部を銀座西二丁目と改称。
- 西紺屋町の一部、新肴町を銀座西三丁目と改称。
- 西紺屋町の一部、彌左衞門町を銀座西四丁目と改称。
- 元数寄屋町一丁目~三丁目及び山下町、南鍋町一丁目の各一部を銀座西五丁目と改称。
- 南佐柄木町、瀧山町及び山下町、南鍋町一丁目、山城町の各一部を銀座西六丁目と改称。
- 加賀町、惣十郎町及び山城町の一部を銀座西七丁目と改称。
- 八官町、丸屋町、日吉町を銀座西八丁目と改称。
昭和18年(1943年)7月1日施行
東京府と東京市が廃止し、東京都成立。
昭和22年(1947年)3月15日実施
京橋区が日本橋区と合併し、中央区成立。
昭和26年(1951年)8月1日施行
- 木挽町一丁目を銀座東一丁目と改称。
- 木挽町二丁目を銀座東二丁目と改称。
- 木挽町三丁目を銀座東三丁目と改称。
- 木挽町四丁目を銀座東四丁目と改称。
- 木挽町五丁目を銀座東五丁目と改称。
- 木挽町六丁目を銀座東六丁目と改称。
- 木挽町七丁目を銀座東七丁目と改称。
- 木挽町八丁目を銀座東八丁目と改称。
昭和43年(1968年)10月1日実施
- 銀座一丁目(旧)と銀座西一丁目を合併し、銀座一丁目成立。
- 銀座二丁目(旧)と銀座西二丁目を合併し、銀座二丁目成立。
- 銀座三丁目(旧)と銀座西三丁目の一部を合併し、銀座三丁目成立。
- 銀座四丁目(旧)、銀座西四丁目及び銀座西三丁目の一部を合併し、銀座四丁目成立。
- 銀座五丁目(旧)と銀座西五丁目を合併し、銀座五丁目成立。
- 銀座六丁目(旧)と銀座西六丁目を合併し、銀座六丁目成立。
- 銀座七丁目(旧)と銀座西七丁目を合併し、銀座七丁目成立。
- 銀座八丁目(旧)と銀座西八丁目を合併し、銀座八丁目成立。
昭和44年(1969年)4月1日実施
- 銀座一丁目に銀座東一丁目の全部編入。
- 銀座二丁目に銀座東二丁目の全部編入。
- 銀座三丁目に銀座東三丁目の全部編入。
- 銀座四丁目に銀座東四丁目の全部編入。
- 銀座五丁目に銀座東五丁目の全部編入。
- 銀座六丁目に銀座東六丁目の全部編入。
- 銀座七丁目に銀座東七丁目の全部編入。
- 銀座八丁目に銀座東八丁目の全部編入。
以上、確認できるように、明治初年に銀座一町目(一丁目)~四町目(四丁目)が成立して以降、昭和5年(1930年)の銀座五丁目~八丁目及び銀座西一丁目~八丁目成立による拡大と、昭和26年(1951年)の木挽町一丁目~八丁目を銀座東一丁目~八丁目に改称した際の拡大が大きなものである。といったところで、簡単にここまで。
最近は銀座の重心が並木通りを中心とする地域に南下しているように思います。海外の有名ブラントの店が集中しており、昭和30年代にはまだ勢いが残っていた3丁目付近は南に勢いを吸い取られたような感があります。南金六町現在の8丁目にあった金六亭という料亭は昭和の文人にも愛された店ですが、オーナーのご子息とは友人関係にありましたので昔話をよく聞かされましたが、モボモガや慶応ボーイに愛された資生堂パーラーの時代に既にその傾向があったような気がします。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/11/29 13:19
突然のコメント、失礼します。
大変ぶしつけ、かつ、突然のお願いで失礼いたします。私、朝日新聞東京社会部の記者をしております、抜井規泰(ぬくい・のりやす)と申します。
こちらのブログで、「木造院電車両マニア」さんがコメント欄に投稿されている「金六亭」という料亭について、調べております。ところが、すでに廃業されたようで、現存していません。おそらく、「西田さん」とおっしゃる方が金六亭のオーナーだったのではないかと思うのですが、いまのところ、手がかりがありません。
こちらのコメントを投稿されている「木造院電車両マニア」さまが、金六亭のオーナーの関係者とお知り合いである旨を記述されています。ぜひ、木造院電車両マニアさまを通じて、金六亭の関係者を取材させていただきたいのですが、木造院電車両マニアさまのご連絡先をお教えいただけませんでしょうか。
突然のお願いで恐縮ですが、なにとぞ、ご協力いただけますよう、重ねてお願い申し上げます。
投稿情報: 取材ご協力のお願い | 2018/04/23 08:07
枯れたBlogに、コメントをお寄せいただきありがとうございます。
実は当方、このBlogのコメント欄を通じてのお付き合いしかないのでわからないのですね。
どなたか、ご存知であればいいのですが。
投稿情報: XWIN II | 2018/04/24 19:35
朝日新聞東京社会部の抜井様へ
木造院電車両マニアさんの友人です。「りっこ」というハンドルネームで、何回かこのブログに書き込みもしております。
木造院電車両さんに上記の事項を電話でお伝えいたしました。取材を受けるのはOKということです。ただ92歳と高齢でいらしている上、現在病気療養中のため、そのあたりはいろいろと相談の上、ということになると思います。
私のほうから朝日新聞東京社会部にお電話いたしましたが、時間外のせいか、誰もお出にならまれせんでした。また平日の昼間にでもお電話しようかと思っておりますが、もしお急ぎであるか、またはもう、必要がない場合は、もう一度ここに書き込んでいただけたらと思います。
ブログ主さまは私のパソコンアドレスご存じです。それで個人的やりとりもできますので。
よろしくお願いいたします。
投稿情報: りっこ | 2018/09/08 20:42