今回は、前回と同時期の帝都電鉄の路線図を眺めていこう。
「高速線から帝都沿線へ」と書かれているのは、東京高速鉄道(現 東京メトロ銀座線の渋谷~新橋間を開業させた鉄道会社)との通し切符を利用することで、都心まで出られることをアピールしているものだが、相互直通ではないので、現在と同様に渋谷駅でそれなりの距離を歩いて乗換える手間はある。通し切符による利便性を強調しているが、今日的視点ではいったいどこが便利なんだ?と思うかもしれない。今ではPASMOやSuicaを代表するICカードパスによって、チャージさえしておけば自動改札で手間いらずだが、少し前の時代ではICカードなんかなかったし、それより前は自動改札なんかなかったし、さらに前は自動券売機もなかった。そうなのだ。切符は窓口で対面販売で購入し、改札で切符に切り込みを入れ、他社乗り換えの場合はわざわざ切符を買い直さなければならない。それが通し切符であれば、買う手間を一回省略できるというわけである。
ということで、通し切符の利便性が強調されているわけだが、続いて路線図の各駅を見てみると、さすが東京圏では最後発に近い帝都電鉄(開業は1933年=昭和8年)であるので、駅の異動は少ない。図から列挙すると、
- 渋谷
- 神泉
- 一高前
- 駒場
- 池ノ上
- 下北沢
- 代田二丁目
- 東松原
- 明大前
- 永福町
- 西永福
- 浜田山
- 高井戸
- 富士見ヶ丘
- 久我山
- 三鷹台
- 井ノ頭公園
- 吉祥寺
現在と異なるのは、一高前と駒場が統合されて駒場東大前となったこと、代田二丁目が新代田に改称、井ノ頭公園が井の頭公園に改称されただけと異動は少ない。また、急行停車駅が永福町と井ノ頭公園といずれも他社線乗換え駅でない点も興味深い(起終点を除く)。
他にも興味深い点はあるが、今回は取り急ぎここまで。
元々小田急系の会社でしたが、大東急分割の時に京王電鉄とくっついた経過がありますが、先日代田橋駅から渋谷に行くために自動出札機のまえで他社の線を探して無いので戸惑いましたが、年は取りたくないものだと痛感した次第です。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/11/13 23:19
此の線で、忘れることの出来ない悲惨な出来事は、永福町の車庫での空襲による車輛の全滅です。下北沢付近で連絡線を設けて急遽他社の電車を搬送しましたが、線路跡は今日辿ることは出来ません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/11/18 19:30