今回もエリア拡大の話で、取り上げるのは東京都港区六本木。六本木の名は、江戸期より続く由緒ある町名だが、よくあるように命名理由は諸説あってはっきりしない。ただ、そう小難しい理由からではないだろうとは思う。では、いつものように(といっても三回目だが)エリア図から見ていこう。
今回は区界はなく、赤い線で囲まれたエリアは現在の六本木一丁目から七丁目にかけての領域を示している。六本木といえば、やはり六本木ヒルズが著名であるが、それ以外でもかなり広いエリアが六本木を名乗っていることがわかるだろう。これは住居表示によって拡大されたわけだが、それ以前は明治初期に成立した麻布六本木町(時期によっては単に六本木町)がほとんどそのまま(ごく一部が麻布三河台町に移った以外は)長い間、六本木を名乗る領域だった(濃い赤い部分)。このエリアに属するため、六本木交差点と呼ばれるようになり、市電の交叉する場所(戦後には地下鉄日比谷線の六本木駅の存在も大きい)として六本木の名が定着したことが、六本木エリアの拡大につながったことは疑いない。
それ以前に六本木を名乗っていたのは、明治より以前の江戸期よりの町で「麻布竜土六本木町」と「飯倉六本木町」があった(図中、橙色とした)。このうち、「麻布竜土六本木町」は明治初期の麻布六本木町の母体となった町といっていいだろう。というのは、もう一方の「飯倉六本木町」は麻布六本木町ではなく、ほとんどが麻布材木町となってしまい、このエリアが六本木として返り咲くのは住居表示後だからである。
では、時代毎の六本木の変遷を確認しよう。
明治2年4月29日
二十一番組
- 麻布北日ヶ窪町代地、麻布龍土坂口町、麻布正信寺門前、麻布教善寺門前、麻布深広寺門前、麻布光専寺門前及び飯倉六本木町の一部を麻布六本木町(麻布竜土六本木町)に合併。
明治11年(1878年)11月2日
麻布区成立
- 麻布六本木町から六本木町と改称。
昭和22年(1947年)3月15日
麻布区が隣接する赤坂区及び芝区と合併し、港区となる。
- 麻布区に属していた町はすべて「麻布」を冠称し、六本木町は麻布六本木町と改称。
昭和42年(1967年)7月1日
- 赤坂榎坂町、赤坂霊南坂町及び麻布市兵衛町一・二丁目、麻布箪笥町、麻布谷町の各一部を六本木一丁目に合併改称。
- 麻布箪笥町、麻布谷町、麻布今井町の各一部を六本木二丁目に合併改称。
- 麻布仲ノ町及び麻布市兵衛町二丁目、麻布箪笥町、麻布今井町、麻布三河台町の各一部を六本木三丁目に合併改称。
- 麻布市兵衛町二丁目、麻布今井町、麻布三河台町の各一部を六本木四丁目に合併改称。
- 麻布鳥居坂町、麻布東鳥居坂町及び麻布飯倉片町、麻布永坂町、麻布南日ヶ窪町、麻布北日ヶ窪町、麻布六本木町の各一部を六本木五丁目に合併改称。
- 麻布桜田町、麻布宮前町及び麻布南日ヶ窪町、麻布北日ヶ窪町、麻布材木町、麻布六本木町、麻布霞町の各一部を六本木六丁目に合併改称。
- 麻布龍土町、麻布新龍土町及び麻布材木町、麻布六本木町、麻布霞町の各一部を六本木七丁目に合併改称。
以上のように、大きく変わったのは戦後の住居表示による前は、明治初期に成立した麻布六本木町だけである。また、住居表示による六本木の拡大は、多くの町を合併したものであることも確認できよう。といったところで、今回はここまで。
麻布新龍土町と言えば麻布三聯隊の近くにあった西洋料理の龍土軒を思い出します。2.26事件を主導した青年将校が集まって謀議をこらした場所として有名です。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/11/30 12:13
私の父旧姓原清隆は、大正9年1月26日に原清の三男といて東京市麻布区箪笥町24番地で出生した。父は平成23年5月17日に92歳で死去した。どのような場所か尋ねたいと思っています。私のルーツ探索中です。
投稿情報: 緒方 一 | 2013/07/24 17:48
緒方様
以下のURLにヒントがあるかもしれません。私もよく利用しています。ただし年代が昭和31年ころのようなので、時代が合うかどうかは疑問ですが。お試しください。
http://showa.mainichi.jp/map/#help
投稿情報: デハ3300 | 2013/07/25 02:30