昨日(27日)夜、NHKで「NHKスペシャル メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオ 第1回 岐路に立つ"日の丸家電"」という番組があったが、ずっと眦を決して(笑)見ていたわけではないが、いわゆる「ながら見」をしながらだが「嗚呼、何が起こっているかの本質は見えていないな」と感じた。
確かにApple社のJobs氏の「iPodはソフトウェア」的な物言いをしているところをピックアップしてはいたが、誰でもハードウェアを作ることができるということは、つまり誰もが簡単に作ることができない(簡単に複製を作ることは可能だが)ソフトウェアの支配をハードウェア側が受けるという視点にやや欠けているということである。
Apple社の強みは、ハードウェアとソフトウェアの密接な関係なくして成立しない「かゆいところに手が届く」という使い勝手のレベルを実現するため=ソフトウェアの機能を実現するために、ハードウェアをチョイスするという形を遅くともLisaやMacintoshの時代からずっと続けてきた。Jobs氏追放の後、1990年代中にApple社が苦境に陥ったが、この時にハードウェア互換機を他社に作らせソフトウェア専業化するというMicrosoft社と同じ道に進むという致命的な選択肢が、復帰したJobs氏に否定され、再びソフトウェアとハードウェアの密接な関係を作り出した。密接な関係をつなぐ赤い糸がネットワーク(Internet)である。
番組中で、古いウォークマン(今のではなくカセットテープ相手)とiPodのハードウェアの中身を比較してメカニカルな部分の有無をあげていたが、ではなぜ半導体(LSI)1個でiPodが成立するのか、という視点については残念ながらふれていなかった。つまり、LSI(ROM)に焼き込まれた(書き込まれた)ソフトウェアの存在である。iPodというハードウェアはコモディティ化しており、誰でも作ることができる。Apple社は工場を持たないから、それを外部に委託して安く作ることができる。ハードウェア、という目に見えるモノとしての視点ではそのとおりだが、昔から言われている「ハードウェア、ソフトなければただの箱」からすれば、半導体にソフトウェアを書き込まない限り、何一つ行うことはできない。まさにただのシリコン片でしかないのである。
ソフトウェア開発(プログラミング)経験者であれば自明であるが、ソフトウェアを作ることとはいかに物事を抽象化するか、に尽きる。物理的なモノを論理的なモノに置き換え、それを実現する。この能力はますます求められており、複雑・高度化していく中で、誰でもできるような作業ではなくなっている(ぬるい開発環境でツールを使っているだけだとしても優れたモノを生み出すのは大変なことなのだ)。かつてのハードウェアにおけるメカニカルな職人的部分が、今やソフトウェアにおける抽象化能力を駆使する職人的部分に置き換えられていると言って過言ではない(少なくとも10年以上前から)。
確かに優れたハードウェアは必要だ。すべてがソフトウェアだけでできるはずもない。物理的な世界において、一切の物理的なモノを排除するのはあり得ないし、それは却って使い勝手を悪くする。よりよいソフトウェアとよりよいハードウェアの密接な連携あってこそ、それは実現されるものではある。だが、ハードウェア先行では既にない。優れたハードウェアでも、ソフトウェアに使ってもらえなければ無価値である。Microsoft社がPCを支配してから20年弱。もはやPCのみならず、電子機器のほとんどはその呪縛から逃れることはできない。その事実に目を背け続けているのが、なまじハードウェアでの成功体験を持つ我が国の大企業である(私自身、こう書いていて目や耳が痛いが…)。コモディティ化するハードウェアへの拘りから未だに脱却できず、主従関係で言えば「従」だけでしかないところで活路を見出そうとしている。だが、本質はそんなところにない。
まぁ、日の丸OSとか、旧通産省が20世紀末期に色々やっていたが税金の無駄遣いにしかならなかった理由が「ガイアツ」だけでないことは、あの時代に身を置いていた者の一人として体感している。困難ではあるが、とどのつまりお役所に期待していても何も出てこず、組織の縦割りなどの弊害を内部に問うていても始まるものではない。ハードウェアからソフトウェアに重心が移り、今やソフトウェアがハードウェアを選別する時代を過ぎ、ソフトウェアがハードウェアを完全支配する=ハードウェアの下請け時代に入っているのだ。それは、Apple社だけでなくGoogleやMicrosoftも同じ道を選択している(今も自社ブランドから色々出しているが、今後ますます増える)。タブレットやスマートフォンだけではない。ソフトウェアが基盤となるものは、すべてそうなっていくのである。ハードウェアは下請け、ということを正面から受け止めない限り、それはほとんどが無駄な投資であると断言できるだろう。今は我が世の春を謳歌するサムスンほかにしても、ハードウェアに拘り続けていたらシャープのように転落してしまう可能性は否定できない。
──と、あの番組を見ながら色々と考えてしまった。Windows 8をインストールすればタッチパネルになると勘違いするユーザの出現は、報道の仕方もあるが、ハードウェアがソフトウェアのおまけでしかないというユーザ感覚を如実に表している。そんなことを書きながら、今回はここまで。
iPodが出た時に、そこにほとんどボタンが無いことを確認し、電機メーカーにいる機械系出身の同級生たち(機械系の学部を出ましたので)の先々を直感的に不安に思ったことを思い出します。私は、大学入学のとき(バブル期只中)、いわゆる「つぶしが利く」ということで機械系を選びましたが、それから10年ちょっとで、変化の時を迎えていたことになります。
投稿情報: はひ | 2012/10/28 22:59
コメントありがとうございます。
PCもインターネットも、そして「i」の付くApple製品も革命と呼ばれて久しいですが、一括りでデジタル革命はその言葉以上の意味を持っています。昔の映画やアニメなどでの未来世界では、今日から見れば失笑してしまうものも多いですが、それだけ未来の予測は困難であり、また何が進化するか見えないといえます。
変化の刻をリアルタイムで30年以上実体験していると感覚が麻痺してきますが、改めて振り返ってみるとその道程に驚愕します。そのほとんどが半導体とソフトウェアの進化に依存していることも実感しますね。
投稿情報: XWIN II | 2012/10/29 07:27