フランスでは、今年も今月15~16日に「ヨーロッパ文化遺産の日」(Journées européennes du patrimoine - 15 et 16 septembre 2012)のイヴェントとして、パリをはじめとする各地で普段は入ることができない様々な施設(文化遺産)に入場(しかも無料。いつも有料のところは無料になる)したり、あるいは歴史の話を聞くことができるのだが、「嗚呼、昨年の今頃はパリとアヴィニョンで様々なところに行ったのだなぁ」とFrance F2のニュース(いつも大統領府=エリゼ宮の長蛇の列と共に始まるのが定番)を見て郷愁に浸った。
昨年はフランス旅行の際、当然このイヴェントの前後で計画し、パリ市庁舎やリュクサンヴール宮殿等を堪能したが、いつも思うことは本線を外せば数多く見ることができるが、やはり本線を外しては意味がないというところだ。というわけで、昨年のフランス旅行の写真を引っ張り出して感傷に浸りながら今回はここまで。
いきなりマイナーどころ(ファンには失礼)だが、これはパリの最初期の地下鉄1号線はGare de Lyon駅。駅構内で鉄骨剥き出しのところでの解説風景。100年以上の歴史を持つパリメトロも、立派な文化遺産である。
続いてもメジャーでないが、パリ市6区役所。我が国では、市役所や区役所は一般市民がほいほい入っていくような場所であるが、フランスではそうではない。用がなければ入ることままならないのである。しかし、この日は例外で、日曜日でも開いていて中に入ることができる。もっとも、中に入ったところで見るべきものはほとんどないので、よほどのことがない限り、文化遺産の日だからといっても入ることはないだろう(私は興味本位で入ったが…)。
シテ島にあるパリ市警も、この日は特別。普段は入りたくもない(外国人が入るときはほとんど悪い用でしか縁がない)が、この日は別。様々なイヴェントが用意されており、私も白バイに乗せてもらったり、パリ市警の人とツーショット写真(「パリ市は俺たちが守る!的なノリでがっちり握手写真」を撮影。いい年して…)を撮ったりなどかなり楽しめた。
文化遺産の人は関係ないが、パリ市庁舎前広場にあったイヴェント向けのゲームコーナー。PlayStation 3が三台とWiiが二台。Xbox 360はなかった。
パリ市庁舎はメジャーなものの一つなので、かなりの行列となる(エリゼ宮のような5時間待ちとはならないが)。時間帯にもよるが、一時間以上は覚悟した方がいいだろう。
しかし、そこはパリ市庁舎。ただ並んで待っているだけの人達に、ストリートパフォーマンスのサーヴィス。どうやらパリ市役所の方々で、かなり上手で、私もこのくらいの芸を持ちたいものだと痛感した。
「文化遺産の日」は、そもそも文化遺産の修復や保護に関わる人々の仕事をより多くの人に知ってもらいたいという目的があって、このようにパリ市庁舎内では文化遺産を清掃する方々のアイテムを展示。解説もフランス語がもう少し堪能であれば…と思わずにはいられないほど興味深い話を聞くことができた。
続いては時計職人さんの実演。すべてがアンティークと言っても過言ではないものを保存・修復していく作業は、何といっても継続が大事。技術が若い世代に受け継がれていかなければならず、振り返って我が国ではこのような取り組みが成されているのか、ちょっと心配になる。
パリ市庁舎は、欧州ではよく見られるように古いものをそのままの形で遺すことを至上命題としているが、過去、徹底的に破壊された歴史を持つ。第二次世界大戦でナチスドイツに占領されたが、この時は無血開城策を採ったこともあり、都市に大きな被害は出なかったが(ナチスドイツ撤退時にはある将校の良心がなかったら危なかったが)、刻は1871年。ナポレオン3世が倒れた後のパリコミューンにおいてである。その時の惨状といかにそれを復旧していったかという歴史を誇らしく展示しているところに、欧州の神髄を見る思いがする。
他にも、有名邸宅の内部が公開される(毎年ではないので人気が高い)こともあり、昨年もこのように長蛇の列。パリ市庁舎やエリゼ宮のように大きければ収容できる人数が多いので、長い列の割にはどんどん前に進んでいくが、邸宅ではそうはいかない。狙っていくようにしないと、ただ何となくでは時間を浪費するばかりとなる。
続いてご紹介するのは、これも普段はなかなか入ることのできないBibliothèque Historique de la Ville de Paris(BHVP。パリ市史料館)。ここはカルナヴァレの向かいにあるが、かなり地味ということもあって入場者は少なかった(たまたまかも)。上写真正面にあるのは──
このようなパリの古地図ならぬ古絵図(鳥瞰図)。これがなかなか圧巻で、これを眺めているだけで時間が経つのを忘れてしまうほど(人によります)。中央を左右に流れるのがセーヌ川で、右側にシテ島、中央付近がサン・ルイ島となる(つまり上が南となる)。
バスティーユ付近を拡大したもの。1789年に陥落したバスティーユ監獄(城塞)が見えるので、本鳥瞰図はそれ以前のものをあらわしていることがわかる。
そして今回最後は、カルナヴァレに展示されているローマ時代のパリ(ルテティアより212年に改称)の模型(ジオラマ)。上が北で上部に見えるのがシテ島。いわゆるセーヌ左岸に街が広がっていた。右に見える円形闘技場は、今も遺跡として訪れることができる。
東京でも、これだけのことをやってほしいものです…。
私個人のことで恐縮ですが、古い鉄道車輛や施設に興味を持つものですが、欧米では19世紀の産業遺産を保護することに熱心で、資料も英國や米国の資料から取り寄せていますが、日本では廃棄されてしまったものが多く、ワルシャワやドレスデンのように復元にさえエネルギーを費やす所に頭が下がります。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/09/22 22:10
コメントありがとうございます。
仰せの通りですが、我が国においては木造・多雨・地震などによって、そもそも建物を安定的に維持するという「根幹」が欧州と発想が異なるので、一概にどうかとは思うわけです。しかし、文化遺産を維持し、過去を大事にする行為は「環境」だけで云々できないし、最近出かけた池上本門寺関連について振り返れば、できないことはないと思うのです。
ですが、伝統の破壊、という行為は明治維新の時に「元勲」の皆様が率先して破壊し尽くすということをしたために、近代化=伝統の破壊という悪しき風習を生んだことが、エコノミックアニマルとも言われた方々を突き動かしていったかな、とも思います。
投稿情報: XWIN II | 2012/09/30 08:46
仰せの通り武家政治のアンチテーゼとして廃物棄却の運動が神道派の明治新政府により紅衛兵運動の様に広がったと記録に残って居り、またトルコに占領された東ローマ帝国の教会のイコンの破壊同様に価値観の転換期にはある程度やむを得ないかも知れません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/10/04 21:55
追伸
廃物棄却は廃仏棄釈迦の誤りでした。
謹んで訂正させて頂きます。
申し訳ありませんでした。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/10/06 00:04