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2012/09/18

コメント

緑が丘の名前がすでに挙っていることは知りませんでした。大東京に編入される直前ですので宅地の価値を上げるために自由が丘の対比として地主により作り出されたものと思いますが、西洗足に至ってはあくまでも目黒区を中心とした観念で、洗足田園都市のかなりの部分が荏原区である事実に目を覆っているような印象を受けます。

お久しぶりです。。。 4年程度の間に、両地区の間にそこまでの形勢逆転があったのですね。駅名にしたか、しなかったか、の差でしょうか(住民が、どういう頻度でその言葉を口にするかどうかの差、とでも言いましょうか)。

コメントありがとうございます。
旧碑衾町の町会の歴史を辿っていくと、その名称から様々なことが見えてきます。緑ヶ丘や自由ヶ丘、そして洗足という名を冠したものは東京市合併以前から存在していますし、洗足を冠したものは3町会(無論、田園都市とは無関係)あるなど、その当時、何が流行していたのかよくわかります。
仰せのように巷間に語られるものが主流となるのは自明であって、地元が何と言おうとそうはならないことはよくあります(例えば洗足池と千束池)。田園調布の場合は、調布という既にメジャーだったものが近場にあったことで改名を余儀なくされた結果であり、一方の洗足は池上電鉄対抗上、洗足の名を下ろすことはできなかった事情もあったと見ます。それが第三者からは洗足と田園調布と定着した…と見えたのでは。

田園をつける必要があった側と、そのままの名前に固執せざるをえなたっか側。。。面白いですね。ありがとうございます。

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