確か先週までは、
こうだったと思うのだが、今週になって
こんなふうに、最近の東急電鉄駅名板ルールに従ったものに変わった模様。路線カラーと中国・韓国(朝鮮)対応と駅ナンバーが付いた。東急全線を見ているわけではないので何とも言えないが、まだ東横線は対応していないよう。これは、東京メトロ副都心線との相互乗り入れが実現した時期に行うからか? そんなことを考えつつ、来週の株主総会準備に追われながら今回はここまで。
« 池上電気鉄道の初期支線計画図を眺める | メイン | 池上電気鉄道、開業後から1927年までの年表作成の試みに関する一考 »
最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。
画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。
コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。
アカウント情報
(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 | 31 |
はい、私も金曜日(の帰り)に気付きました。地下鉄のように路線/駅ナンバーがつきましたね。ユーザーフレンドリー、ということでしょうか。個人的には、色、好きです。
投稿情報: はひ | 2012/06/24 21:12
洗足駅つながりで。
目黒信用金庫洗足支店の例の写真、見てまいりました。
いやぁ~~
想像以上にすばらしかったです。
昭和37年目黒信用金庫洗足支店誕生当時の五差路
信用金庫のお向かいは、三越の発送所でした。
昭和63年の同位置の写真があり、これは三越エレガンスになっています。
そして圧巻は、昭和27年のカラー写真!
洗足いちょう通りを米軍のバスが駅へ向かっているところ。
もう1枚は、同27年駅と踏切で、RAILROAD CROSSINGが時代を感じさせます。
この写真を見たのも初めてなら、カラー写真ですからね。感動してしまいました。
その他にもいっぱいあるんですよ。雪の日、ご主人の帰りを駅の改札口で待つご婦人方とか、大正期洗足駅周辺を走る目黒蒲田鉄道とか、目黒蒲田鉄道創業当時の目黒駅とか、大岡山駅、中原街道もありました。
本当に残念なことに、これらの写真、転載不許可、公表不許可であり、また、こういう写真がある、ということも内部資料扱いになっております。
窓口で、「洗足支店誕生当時のお写真があるとのことですが……?」とお聞きすれば、信用金庫の職員の方々、大変親切な対応をしてくださるのですが、写真を撮影することは、「著作権の関係があるので」ということでした。
ああ。なんかすごーくもったいないです。
現在の同位置写真との定点観測になってるものも多く。
写真集として売り出したら、私、買いたいですよ。マジで。
投稿情報: りっこ | 2012/06/26 17:10
コメントありがとうございます。
東急目黒線の駅ナンバーですが、まだ目黒線すべてというわけではないですね。今日、東横線乗車時に確認したのですが、目黒線の多摩川駅の駅名板は従来版のものでした。すべてが変わるまで、もう少し時間がかかるのか…。
そして以前もご教示いただいた目黒信用金庫洗足支店の件。羨ましく思うのは、平日の窓口時間はそのまま私の勤務時間に重なる(平日のサラリーマンならみんなそうでしょうが)ので、どうにもならないということです(惜)。
ただ、昭和27年のカラー写真は、ご紹介の内容ですと書籍になったものでもあるので、私も見たことがあるものになるかもしれません。
なので、これらの写真が目黒区とかで郷土資料のような形で刊行していただけるのが一番ですが、目黒区の財政は逼迫しているので難しいかも?
投稿情報: XWIN II | 2012/06/28 19:43
洗足イチョウ通りを行く米軍バスは恐らく焼け残った洋館を接収した米軍(当時は進駐軍と呼びました)の将校の子弟の通学用の帝産オートが運営するスクールバスでしょう。オーナーにとっては和室もペンキを塗られて往生したようです。遠い昔の話ですが私にとっては昨日の出来事の様に思い出します。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/06/29 18:02