今回も池上電気鉄道つながりで、昭和初期の東京府荏原郡大崎町(現 東京都品川区の一部)の地図から大崎広小路駅周辺を見ていくことにしよう。
中央付近を縦断するのは、池上電気鉄道線(現 東急池上線)で「じうころひきさほお」(「こ」はいわゆる変体仮名で図上表記)と見えるのが大崎広小路駅。この一帯は、江戸期より中原街道に面した以外は農村地帯であったが、明治後期からの大崎駅周辺での工場進出から都市化が始まり、目黒川沿岸の耕地整理が進んだことや五反田駅の開設によって池上電気鉄道が進出する以前より発展していたが、さらに加速させる要因となった。
図上には興味深いものが多く見られるが、今回は時間がないので一つだけふれておく。大崎広小路駅やや左上に「川崎貯銀支店」とあるところが、東急50年史には池上電気鉄道本社とあり、東横沿革史では池上電気鉄道事務所(本社にあらずとわざわざ断り書きがある)と記された場所である。この銀行の入ったビルの一角に本社機能を持った事務所を置いたのが1926年(大正15年)11月14日で、五反田駅まで全通する1年7か月前。当時は雪ヶ谷駅までだった同線をこの場所から指揮し、全通させるまでの最前線だった場所である。
といったところで、簡単にここまで。
池上電鉄本社の所在地の写真有り難う御座います。中原街道も環状六号も拡張途上にありますが、目黒川の艀輸送の便を利用して工場が多数あるのが目立ちますね。舟底塗装の会社があるのが水上輸送が盛んであったことを示していて興味深く拝読致しました。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/06/26 09:07
追伸
池上電鉄の本社の所在地は国立公文書館の桐が谷迄の開通に関する届け出書のゴム印の会社の住所は桐が谷になっていますので案内書の書かれた当時に仮事務所を置いたのかもしれません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/06/26 19:13
旗ヶ岡駅のことを調べていましたらこちらに行き着きました。
興味深く拝見いたしております。
投稿情報: あよーば | 2012/06/28 00:50
コメントありがとうございます。
池上電鉄本社(本社でなく事務所とすべきか)がどこにあったかという問題は、古くて新しい問題だと私も認識しています。ゴム印で記された地番である以上、まったく無縁とも思えませんし。なお、昭和初期の大崎町の地図は、今回ごくごく一部しか掲載していませんが、全体としてみても色々興味深いものが多いです。地図情報の情報量は、他文献の比ではありませんね。
そして旗ヶ岡駅の情報からたどり着かれたということで。いらっしゃいませ。我流の調査記事ではありますが、お気づきの点などがありましたら遠慮なくコメントちょうだいできればと思います。
投稿情報: XWIN II | 2012/06/28 19:37
XWIN様
申し忘れましたが、案内書の池上電鉄の住所ですが、事務所と書かれているのに対して目黒蒲田電鉄では本社となっており、電話も池上が1本に対して目黒蒲田電鉄は4本となっています。まだ雪谷迄しか開通していない時ですので当然かもしれませんが、仮事務所の観がありますね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/06/28 23:22
XWIN様
昭和初期の大崎広小路駅周辺のようすを探していてたどりつきました。あまりにもドンピシャリで大変驚きました。ブログにこのような形でリンクさせていただきました。問題がございましたら、ただちに削除いたしますのでお知らせくださいませ。ルールがわからなくてごめんなさい。大変貴重なものを見せていただき本当にどうもありがとうございました。
投稿情報: 弁財船 | 2015/07/25 18:47