今回は、以前も当blogで掲載したことがある池上電気鉄道(現 東急池上線)の雪ヶ谷駅(現 雪が谷大塚駅)の写真(「池上町史」より)。
雪ヶ谷駅については、
- 奥沢線(新奥沢線)開業時の雪ヶ谷駅の位置及び形態。
- 初代雪ヶ谷駅の位置。
- 三代目雪ヶ谷駅と調布大塚駅の関係。
- 雪ヶ谷駅から雪ヶ谷大塚駅への改名時期。
といった問題が完全に解決できておらず、まだまだ研究の余地があると考えている。なお、この写真は昭和7年(1932年)撮影のものであり、確認できるように三線あるが、プラットホームは何面か判断尽きかねる。プラットホームに屋根があるという想定に立てば、一番左側にある線路=奥沢線(新奥沢線)のさらに左側に屋根が見えることから、奥沢線専用ホームが一つ、本線はまだ島式ホームでなく相対式ホームだったので、本線のホームが上りと下りで一つずつ。合計三つだとなるが、仮にこの推測が正しければ、国分寺線(奥沢線、新奥沢線)計画時の雪ヶ谷駅の図面と同じホーム数となるが、この写真だけでは何ともいいようがない。
何にしても、雪ヶ谷駅については史料収集や作図などが完成するなど、一定の目処が立った時点で再度論考する予定なので、そのあたりで解明していきたいと思う。
蒲田方面のホームに停まっている電車は100あるいは200形で左手に電車が写って居ますが、奥沢線専用の小型電車でしょう。転轍機がだるまですので、切替が殆ど無く、一両で単車で往復して調布女学校の生徒の送迎サービスを行っていたのでしょう。隣人のお婆さんは大正5年生まれで、実家のある久が原から雪谷乗り換えで調布女学校に通学していたそうで、大声で運転手に呼びかけると待っていてくれたそうで、暢気な時代だったのでしょう。更なる情報を心待ちにしています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/03/27 10:30