Andriod OSを搭載したタブレットマシンOptimus L-06Cを毎日それなりに使っている私であるが、最近感ずることがある。それは、Andriod OSって…というかAndriod OS搭載ハードウェアって、我が国のパソコン黎明期におけるMS-DOSやWindowsが搭載されたパソコンと同じような立ち位置にあるということだ。
それは、ここ10年くらいのWindowsしか知らない方にとっては、Windowsはただ一種類(バージョンやエディションが違っても基本的部分は変わらない)と思われているだろうし、若干遡っても二種類(いわゆるDOS/Vマシン用とNEC PC98シリーズ用)しかなかった。だが、黎明期においては、ハードウェアメーカーが異なるのはもちろん、同じメーカーでもシリーズラインナップが異なるだけで、まったく違う日本語WindowsやMS-DOSがあったなど思いもよらないだろう。だが、今から20~30年ほど前の世界はNECや富士通、シャープなどがリリースしていたパソコン毎にまったく異なる当該ハードウェアでしか動作しないMS-DOSが多数あったのだ。これは、Andriod OSというものが搭載されているという点については同じでも、実際にはハードウェア毎にカスタマイズが施され、それがOSアップデートの妨げになってしまう状況は、かつてハードウェア毎にMS-DOSやWindowsが用意されていたことの再現に見えてしまうのである。
そして、対抗馬は相変わらずApple社で、かつてはMacintosh(と当初は名前がなかったが後年Mac OSとネーミング)、今はiPad, iPhone, iPod(とiOS)であり、密接なハードウェアとソフトウェアの連携によって、提供ベンダが異なるもう一方を使い勝手などの面で凌駕していることも変わりはない。優れたApple社のユーザインタフェースを真似しようとする動きや、それに対抗する訴訟合戦も同じである。どうにも既視感というか、歴史は繰り返すというか、そんなことを感じながらAndriod OSを見ている。
当時と現在で、決定的に異なるのは普及率だろうか。これだけiOS搭載機器が出回っている状況下で、市場のさらなる拡大でもない限り、Andriod OSがかつてのWindowsのようにMacintosh(とMacOS)を逆転することは不可能のように思える。だが、初期のWindowsとMacintoshを知る体験者としての視点で振り返れば、よもやWindowsがMacintoshを逆転する(ウィンドウシステムの普及率)などとはまったく思いもよらないほど、両者のレベルは天と地ほどの差が広がっていたし、いくらExcel 2.1がMacintoshからWindowsに移植されたとしても、あのWindowsでExcelを使うなど「苦行」でしかなく、PCではDOSでLotus 1-2-3を使う方が遙かに優れていたのだ。
それがAppleファンから言わせれば、Windowsのユーザインタフェースはその後もMac OSを凌駕したことはないとなるだろうが、それでも天と地ほどの差でなくなったのは確かであり、Mac OS Xを買ってくる(言い換えれば乗っ取られる)までは、OSとしての基礎(カーネルなど)は32-bitへの移行具合などから、逆にWindowsに大きく差をつけられていたのである。また、最初にふれたように各ハードウェア毎に微妙なカスタマイズが施されていたDOS(Windows)は、ハードウェアの仕様統一に合わせる形で一本化され、単一ハードウェアと優れたソフトウィーの組み合わせという「強み」も比較の上で発揮しにくくなり、Jobs氏復帰前にはApple社は青息吐息だったのだ。
こうした変化は今後、Andriod対iOSの戦いで起こるのだろうか。それとも、そうはならないのだろうか。歴史は繰り返すと言うが、同じようには繰り返さないのもまた真理。革新的なものであっても、それに頼りすぎないような革新(刷新)が常に求められるという厳しい世界で、一ユーザとして今後どう推移していくのか、楽しんでいきたい。
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