地元の方々にとっては数か月前から明らかだったようだが、そうでない人にとっては情報化社会の今日においても、必要な情報というものは必ずしも手に入るものではない。池上電気鉄道奥沢線(新奥沢線)の歴史が書きかけではあるが、その後には我が国田園都市の元祖、洗足田園都市を採り上げる(予定)ため、最新の現地情報を見てこようとしたその日。
洗足会館の前にはこのような案内が…。そこには洗足会館の取り壊しと、その後に建設される建築計画お知らせ看板があった…。
ここは、第一種住居専用地域にあたるので、10メートルを超える建築物は原則建てることができないので、中高層建築物とは10メートル未満であっても一定の高さを擁すれば、このようなお知らせ看板を出さなければならない。結果的にこのことによって、この計画を知ることができたのだから、まぁありがたいと言った感じになるだろうか。
それにしても、私は運がよかったとなるのだろうか。取り壊しの工期が「平成22年11月12日から平成22年12月16日まで」とあるので、今日は11月21日ということから、工期が順調なら既に洗足会館は取り壊されていたかもしれない。だが、幸いにして
このように最後の雄姿というか、洗足会館の最後の姿を見ることができたからだ。洗足会館については、竣功当時の写真を当blog記事「洗足会館、竣功時の写真」に採り上げたように、竣功は昭和6年(1931年)で今年で80年目の建物で、太平洋戦争の空襲にも生き残った(洗足田園都市は駅周辺を含め、半分程度焼けてしまっている)。その希少性だけではない。洗足会館は、単なる町会会館のようなものではなく、洗足田園都市の発展過程において果たした役割等も考え合わせれば、歴史的にも重要な建物であり、文化遺産と言うべきものとも思える。
だが、現実は甘くはない。そもそも、洗足田園都市誕生時からの致命的問題であった行政区域が3つに分かれている(誕生時は、荏原郡碑衾村、荏原郡平塚村、荏原郡馬込村。現在も東京都目黒区、東京都品川区、東京都大田区。なお、洗足田園都市に関する文献には洗足村だとするものが多いが、そのような町村は存在しない)ことで、洗足会館が社団法人洗足会の持ち物であっても、町会(自治会)としての機能を持たない洗足会には、洗足会館を維持することも難しいばかりか、建替えとなればそれこそ莫大な資金を必要とするが、その上で建物を保存するというのは困難以外の何物でもないだろう。
とはいえ、関係者でないので現実がどう推移しているかはわかりようがない私なので、建築計画のお知らせ看板からのみで判断すると、この建替え計画における相当な資金は、共同住宅化することで捻出するのかと見込まれる。洗足会館が単なる共同住宅(会館機能はどうなる?)になってしまうのは何とも残念であり、また、そもそも洗足会館は田園都市株式会社が目黒蒲田電鉄に合併される際の手切れ金のような性格の寄付金をもとに建設された経緯を考えれば、洗足会を適切に継承したかどうかが社団法人洗足会に問われたであろう。また、他にも様々な問題があったからこそ、ここまで再建計画が遅れたと見ることもできるだろうか。
まぁ、当事者の問題は置いておいて、洗足会館を見ることができるのは、解体工事計画が順調に進捗すればあと一か月もないことになる。約70年近く洗足田園都市の顔として存在した洗足会館が消えることで、ほぼ完全に洗足田園都市を記憶にとどめるものは失われるだろう。そんなことを思いつつ、今回はここまで。
洗足田園都市の象徴がまた一つ消えて行くのは残念ですが、母体もはっきりせず、所属する自治体も曖昧であった実情を見ればやむを得ないことであるとと思いますが、少年時代の思い出が詰まっている建物が消え去ることは私個人にとっては悲しい限りです。本日今生の別のつもりで見に行ってきましたが、足場も組まれておらず未着工のようです。経済状況のせいでしょうか最近は看板に書かれている日付けより大幅に遅れる例をしばしば見ます。何れにしても残念乍らやはり調布村には勝てませんでしたね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/21 18:17
洗足会の会員の方にお聞きした、今年5月での状況です。
1.洗足会は、今でも活動しているのですか?
→しています。議題は
・新会館建設構想
・一般社団法人への移行問題 他
2.会館は、この先、なくなる、ということはないのでしょうか?な
くなるとしたら、その後あの場所はどうなるのでしょうか。
→建て替えようとしています。
3.今でもたまには集会等、おありになりますか?
→会館があった時は新年会を2階の和室で行っていました。
→秋頃に箱根等へのバスツアーをやっていました。
投稿情報: りっこ | 2010/11/22 20:29
コメントありがとうございます。
>何れにしても残念乍らやはり調布村には勝てませんでしたね。
↑
用地買収の時点で、既に「差」がついていましたからね。本来であれば、馬込村方面(現在の大田区北千束あたり)の買収を大きく進めたかったように思いますが、大岡山駅近辺の用地買収にも難渋したことが致命傷でしょうか。あとは、洗足地域を分断することになってしまったこと(品川区旗の台六丁目1番、2番あたり)も大きいかと。
>洗足会の会員の方にお聞きした、今年5月での状況です。
↑
貴重な情報をどうもありがとうございます。
会館機能は残すということ、かな?
建築計画のお知らせ看板の建物用途には、共同住宅としか書かれていなかった(規則上、一部でも事務所等の用途があれば並記するようになっていたはず)のが気がかりです。まさかとは思いますが、共同住宅として用途申請をしたものを事務所に転用しようというのはいかがなものかとなるでしょう(そういう例は数多ありますが)。
一般社団法人への移行については、これも歴史的経緯からどうなんだろな~と部外者からは見えます。ということは当事者はもっと大変なことではあるでしょうね。
投稿情報: XWIN II | 2010/11/23 10:40
XWIN II様
ご指摘の通り有隣社住宅地による分断のみならず、澁澤氏の提唱による田園都市構想で西小山あたりはかなり早くから土地が高騰した関係で洗足地区の用地買収が難航したのにくらべて、調布地区はまだそれほどでもなく、単独の行政地域であったので用地の手当が容易であった点もこれに影響されたのでしょう。
りっこ様ご指摘の洗足会ですが、この会は荏原第二地域センターに属する小山洗足会等の下部組織なのでしょうか、また目黒区洗足の住民も戦前の洗足会では重要なメンバーでしたので、その辺がどうなっているのか知りたい所です。品川役所の広報に掲載されてる自治会は小山6-7丁目は別の名前に成っています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/23 10:58
洗足会の詳しい情報は、ちょっと不明です。すみません。
昨日、旗の台に行きました。で、元東洗足変電所の跡地なんですが、ここは、とある商店主の方にお聞きしたところ、入居金2,000万円以上の、東急経営による超高級介護ホームができるらしい、という噂だそうです。
一方、洗足会の会員の皆様は、高齢者の方が多いということで。
これは全くの私の勝手な憶測ですが。
東急側としては、洗足田園調布の住民の方々の高齢化に伴い、その土地と交換のような形で、こうした超高級介護ホームへの入居を薦めていく予定なのかなぁと……
投稿情報: りっこ | 2010/11/25 08:52
東洗足変電所の土地は長らく空き地になっていたところに建設されましたが、洗足池やその他の変電所と同様に整流器の半導体の改良で大幅に小型化が可能になり各所で電話局と同様に縮小されていますので、その分スペースの利用を迫られているのでしょう。相続税の問題もからめてこのような所が増えるでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/26 09:48