ここのところ、昭和(戦前)時代の懐かしい写真をご紹介してきているが、今回ご紹介するのはさらに遡って明治20年頃のこの写真。
正確な位置は、残念ながら調査できていないのでわからないのが残念だが、現在の銀座中央通りにあたることは確かである(影の写り方や人力車の進行方向から、中央通りを北側から南側を見たものと推測できる)。やたらと横線が多く、かつ、支え棒が一緒にくっついている電柱もすごいが、舗装されていない道路を馬車鉄道が走っているのが確認できる。二本組のレールが二組見えることから、この馬車鉄道が複線であることもわかるだろう。
また、写真右側には人力車の後方部分も確認できる。人力車は我が国固有と言うべき交通機関であるが、銀座中央通りは馬車鉄道と人力車が我が物顔で活躍していた時代、それが明治20年代であると窺い知ることができる。
また、写真中央に街路樹?といっていいのか、二階の屋根の高さくらいの木が見えるが、これは銀座の柳だろうか? 見た感じはそうは見えないが、そんなことを気にかけつつ、今回はここまで。
多数の電線が目立つのはいわゆる電信柱でしょうか。暗渠化される前の光景でしょうか.馬車鉄道は品川と浅草間を走った昔の市電の1系統の前身でしょうか。ニューヨークから中古品を購入したとのことですが、これが後日中途半端なゲージに追従した京浜、京王や京成に影響を与え、京王だけはゲージの改訂のタイミングを失って、八幡で止まったままになっています。もともと表定速度が高い都市間電車を路面電車の軌道に乗り入れること自体無理であったのですが当時は京浜も京王も停車場がやたらに多い路面電車が専用軌道を走っているようなものでしたので、これでいけると思ったのでしょうが、天現寺まで乗り入れたのは玉電だけでした。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/09 23:21
コメントありがとうございます。
明治20年頃、ということなので馬車鉄道全盛時代であることから、仰せの通りかと思います。品川~新橋~浅草は、明治以降、交通需要の中心なので、いつも1号線とされていますね。
投稿情報: XWIN II | 2010/11/16 08:23