街歩きをしていると、何気ない風景でありながら突然と気になってしまうものがある。おそらく地元の方は当たり前すぎて気にも留めていないかもしれないが、そうでない人にとっては気になってしまうようなものだろうか。
ご覧のとおり、T字路が短い距離の間に3つもあるのである。場所は、東京都目黒区のうち、中央町一丁目と鷹番一丁目の境界あたり。ゼンリンの電子地図で示すとここになる。この電子地図を見ると、T字路が3つ続くようには見えないが、一つは明らかに鷹番小学校の出入り口にあたることから、自動車の通行には気を遣う場所かと思われる。
それにしても、このような道路パターンはいかにして作られたのだろうか。写真右側から写真奥に進む道路は、かつての目黒通り(旧道)であることから、区画整理(耕地整理)されたにしてもこのメイン道路(当時にとっての)を勝手にどうにかすることはできなかったと思われる。だから道路のかみ合わせが悪いのか、を確認するために大正初期の1万分の1地形図を見てみよう。
ちょっと局部すぎるか? 先にリンク先で示した地図でいうと、鷹番小学校南側にある逆三角形の街区は、この大正初期の地図に見える逆三角形の街区と同じ場所である。地図(部分)左下端から右上を貫く道路は旧目黒通りで薄青色で●を付けたところが写真撮影地点を示す。見れば、T字路は一つしかなく(地番660の南側に見えるT字路は写真でも見えるが3連続T字路のやや先にある、あえていえば4つめのT字路)、その後に追加されたT字路と理解できる。
というわけで、このような道路パターンは昔からあったわけではなく、住宅地化が進行する過程で生まれたものであることが確認できた。確かに現在の地図を見れば、このあたりだけが耕地整理(区画整理)が実施されていないように見える。やはり、都市基盤の整備は重要なのだと認識しつつ、今回はここまで。
鷹番町に限らず、この付近には目黒通りに対して鋭角に交差する旧道がいくつかあります。この辺は耕地整理もままならなかったのでしょう。上大崎ではなく鷹匠が活躍した目黒で将軍様もさんまを賞味されたのでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/09/05 09:26
>地元の方は当たり前すぎて気にも留めていないかもしれないが、そうでない人にとっては気になってしまうようなものだろうか
あります!T字路もそうですが、Y字路なんかもそうじゃないでしょうか。
雑誌の写真で、毎号Y字路が載っているのを見たことがあります。T字路とY字路って、成り立ちが似ているところがあるのでしょうか。
ところで、上記の地元の人は当たり前すぎて……というやつなんですが、私にとっては不思議でたまらない、「地元の不思議」があります。
それは、旗の台6-33と、大田区南千束1-1の、「区境」のことです。
ナント、ここ。区境なのに、道がありません!
そして、品川区と大田区の区境は、ここらあたり、環七の、一つ品川寄りの道路で、ずっと区切られています。
確かに昔、環七は、しょぼい道でした。でも確かに「道」として存在はしていたのに、なんでわざわざ、道のないところを区境にしたのでしょうか。
下手すれば家の真ん中に区境が通ってしまう。
小さいころから、いつも不可解でした。
投稿情報: りっこ | 2010/09/05 09:39
コメントありがとうございます。
>この辺は耕地整理もままならなかったのでしょう。
↑
目黒区のうち、旧目黒町は耕地整理あるいは区画整理を実現できなかった区域は多かったのですが、旧碑衾町はできなかった方が少ないです。やはり、主要道路に面した所がやりにくいというのは基本的に変わらない印象です。
>確かに昔、環七は、しょぼい道でした。でも確かに「道」として存在はしていたのに、なんでわざわざ、道のないところを区境にしたのでしょうか。
↑
これはずばり土地所有者の違い、です。かつて飛地が多かったのは、土地所有者が同じであれば同じ村であり、土地が連続しているか否かはほとんど関係ありませんでした(例外有)。土地の境界(所有者の境界)が道路や川等で区切られていないのは、多くがそういう形態を引きずっているからと思われます。
投稿情報: XWIN II | 2010/09/09 20:27
鷹番町の角田様は城南地区の大地主で、一族の方で第二延山小学校の校長先生を勤められましたが、残念乍ら就任間もなく脳卒中で他界されました。温厚な方でしたので今でも記憶に残っております。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/09/10 14:37