今回は、一枚の写真ならぬ一枚のパンフレット(ちらし)。
10月12日、といえば池上本門寺お会式で、江戸期より多くの信徒達を集めてきたが、それは明治~昭和(平成)においても同様で、いかに参詣客を確保するのかが近隣交通機関の課題でもあった。実際、池上電気鉄道は、この参詣客をあてにしてスタートしたようなものだし、目黒蒲田電鉄も本門寺道駅という名前だけ拝借したような駅をつくった(参考「東急目蒲線(現 東急多摩川線)の本門寺道(道塚)駅の場所はどこなのか!? 前編」ほか)。
で、このパンフレット。発行元は、目蒲・東横電車とあるように、目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄で両社は形態は別会社だったが、経営陣はまったく同じで事実上同じ会社といえる。描かれる路線図も別会社とは見えない。発行時期は、池上電気鉄道合併前で「府立高等」と見えることから、昭和8年(1933年)10月前後に出されたものと思われる。
さてさて、面白いのは池上本門寺(ゼンリンの電子地図で入口を示すとここ)の最寄り駅が、このパンフレットによれば「下丸子」駅だということである。せっかくそのためにつくった本門寺道駅ではないというのも何だが、わざわざ下丸子駅から乗合自動車(バス)に乗り換えてくれと言うのである。「池上本門寺お会式に楽に安く行くには」と言いながら、これはないだろうさすがにと思うのだ。とはいえ、これだけ見れば運賃大割引だとあるし、ここに書かれた運賃を見れば楽かどうかはわからないが、安いと言うことではあるのだろう。
このようなパンフレットも池上電気鉄道を合併して以降は、最寄り駅は池上駅としているあたり、やはり目黒蒲田電鉄にとって池上電気鉄道は胃の中にいる悪虫的な存在だったのだな、と思わずにはいられない。このパンフレット一つ見てもそう感ずるのであった。
洗足田園都市に住まっておりましたがお会式の日にはお題目の太鼓を響かせて碑文谷の方から何組もの講中の連中が練り歩くのを見ました。今日に比べて隔世の感があります。荏原町の八幡様のお祭りでも臨時ダイヤで運転されました。神社仏閣に対する崇敬の念も昨今はかなり薄れているようです。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/07/06 19:14
本門寺通り駅
ここからでは結局蓮沼の手前で池上電鉄の踏切を渡って池上線に沿って池上電車が走るのを横目で見乍ら本門寺に向かうのが目蒲にとって許せなかったのでしょう。平間街道のバスと抱き合わせたのも苦肉の策でしょう。敵意が丸出しですね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/07/06 23:24