先入観。
自明だと思った事柄をそのまま前提として受容れてしまい、結果、誤った理解をしてしまうこと。この主因が先入観であることを痛感した。前回、「田園都市株式会社第二期線(目黒~大岡山)計画図を眺める」として、計画線の図面を眺めながら今日の東急目黒線の線形を考慮に入れつつ概説したつもりだったが、「考慮に入れつつ」の部分が先入観によって歪められていたことがわかった。
これに気付いたのは、計画図面に示された駅の予定地が現在のどこにあたるかを調べたとき。現在の東急目黒線の原型となる第二期線(目黒~大岡山)の各駅の場所は、ゼンリンの電子地図で示すとだいたい以下の場所になる。
さすがに目黒駅(停車場)の場所は間違えようがなかったが、問題は大岡山駅である。確認するとわかるように、大岡山駅予定地はこの計画当時、何と東京都大田区北千束一丁目50番の北西角付近だったのだ。現在の大岡山駅よりも北北西方向に約100メートル以上先にあったとは…。この先入観(大岡山駅の位置は変わらないだろうという前提)が誤っていたことで、前回記事の一部が誤っていたこととなったので、改めてこの計画線について次回以降(そんなに遠くない未来)の記事で扱うつもりである。
なお、調べたついでに認可線の大井~大岡山間の各駅の場所も確認した。
といったところで、今回はここまで。
大井町線の場所が分かりました。有り難う御座います。さて停留場と停車場の差は前者が駅舎のない無人駅の意味であると解釈します。ホームがあるかどうかは知りませんが停留場より停車場に格上げされた旨の報告が国立公文書館の中に散見されます。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/06/27 14:22
千束停車場の位置が……びっくりしました。
ここが「千束」なんですね。「洗足」じゃないところもまた、おもしろいなぁと。
ここに駅ができていたら、うちの小学校はつくられなかったかもしれませんねぇ。
投稿情報: りっこ | 2010/06/27 17:01
コメントありがとうございます。
>さて停留場と停車場の差は前者が駅舎のない無人駅の意味であると解釈します。
↑
実は、計画図によって「停車場」だったり「停留場」だったり異動があるので、本図に掲げたものがその後そのとおりだったかといえば微妙です(開業後、例えば洗足は停留場でなく停車場でした)。
なお、停車場と停留場の違いについては、大正年間の公文書を見る限りにおいてですが、当時はポイントの有無で分けられていたようです。留置線のある駅はすべて停車場となっており、これを撤去する工事申請では停車場を停留場に変更する件と書かれています。
>ここに駅ができていたら、うちの小学校はつくられなかったかもしれませんねぇ。
↑
荏原電気鉄道から田園都市株式会社に鉄道免許が移行し、その後目黒蒲田電鉄が建設するまでの間、計画は文字通り紆余曲折します。今回示した計画図ではあの場所でしたが、伊藤邸ができて(確認できて)からは計画線から避けられました。そのほかにも伊藤邸があの地にできた効果は、今日の旗の台地域に大きな影響を与えていると思いますね。
投稿情報: XWIN II | 2010/07/02 07:34