当Blogにおいて、目黒蒲田電鉄(現 東京急行電鉄)線の蒲田駅~矢口渡駅にかつて存在した本門寺道駅(のちに道塚駅)について、駅の場所などについて議論したことがあったが(本記事末尾に記載)、ようやく現地を確認できたのでそれらについて報告しつつ、論点などを整理していきたい。
まず、はじめに本門寺道(道塚)駅とはどこかを復習しておこう。現在の住居表示でいうと、東京都大田区東矢口三丁目27番にあり、ゼンリンの電子地図で場所を示せばここになる。
かつて駅のあった場所を示すと、
のように駅の跡地どころか、線路すら見えない。「不動産のことなら当店へ!」くらいが目立つが、正真正銘ここが本門寺道(道塚)駅跡地である。通常、廃線となれば跡形もなくなるものが多いが、この路線は現在でいえば東急多摩川線にあたるもので、いくら廃止された駅とはいえ、線路はあってしかるべきとなるだろう。だが、この本門寺道(道塚)駅は、蒲田駅~矢口渡駅間の線路変更(付替)が行われた場所に位置していたため、駅も線路もなくなっているのである。参考に本門寺道駅が健在であった頃の1万分の1地形図で確認できるように、
かつての路線は、蒲田駅~矢口渡駅間を南に大きく迂回するようにカテナリ(懸垂線)状となっている(ただし駅の位置については、以前の記事で論考したように1万分の1地形図が誤っており、正しくは道路の西側)。これが現在のように東西にほぼ直線化されるのは、太平洋戦争末期の空襲による灰燼化の後、一気に旧帝国陸軍の手を借りて完成させたものである。なので、空襲による住宅地の消滅という悲劇がなければ、未だに迂回するような線形のままだったかもしれないのだ。
以上のような経緯で、直線化された目蒲線(当時)だが、跡地の多くは住宅地として分譲される。これは現在の土地区画がそれを継承されたものであるので、航空写真で旧目蒲線の線路等を確認することが可能となっている(以下写真に橙色で示した部分)。
線路のあった部分が、周囲の住宅と並びが異なっているのがわかるだろう。なお、現在の東京都大田区東矢口三丁目と東京都大田区西蒲田八丁目との境界(上写真で最も東側にある南北を走る広い道路)より東側は、戦後の土地区画整理事業によって土地区画等が大きく改変されており、当時の線路跡が確認できるのは、本門寺道(道塚)駅があった付近までである。では、かつての路線跡を現地の写真で確認してみよう。
この駐車場付近(写真左の電信柱右に見える境界柵)からが、かつての旧線跡となる。逆に言えば、ここから蒲田駅方面の線路用地は住宅地だった部分で、権利関係を戦後に精算したと考えられるが、いくら焼け野原になった直後とはいえ、鉄道用地として収用してしまったのには驚かされる(戦争末期だったが戦時中と変わらないからか)。この駐車場から東側に続く住宅地及び私道(と思われる。公道ではないのは確実で、単なる通路の可能性も否定できないが未調査)がかつての鉄道用地である。
上写真で左側に見える住宅と道路が鉄道用地で、境界は右側住宅群であった。注意すべきは、住宅地だけでなく道路部分まで含めてであり、この付近は鉄道敷地に隣接する道路はなかった。この道をまっすぐ進んでいくと南北に走る道路があり、この道路はかつて目蒲線が当該地を走っていた頃より存在していたので、その当時は踏切があったと思われる。この道路を越えた先も住宅と道路が平行して進むが、
この写真のように、道路を越えた先で行き止まりとなる。この理由はおそらく旧線路用地を住宅地として分譲した際、ここから先は接道条件を満たすことが可能となったために、道路を確保しなかったと思われる。いうまでもないが、勝手に道路上に住宅を建設したわけではないだろう。
さて、もう一度、駅部分の写真である。ちょっと角度は異なるが、かつて駅があった頃の写真と比べてみよう。
ご覧のようにまったく見る影もない(イメージとして現在写真に写る郵便ポストのあたりが踏切になる)。ただ、先にふれたようにここから蒲田駅寄りはまったく跡形もなくなってしまうほどに土地区画整理が行われたため、住宅地としての環境はともかく、かつてここに鉄道が走っていたということを確認できる意味はあるだろう。といったところで、今回はここまで。
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興味深い情報有り難う御座います。道塚駅の隣に学校があったことを記憶しています。昭和20年4月15日の空襲で完全に焼け野の原となった光景が目に浮かびます。矢口の渡しを出て蒲田に向かって左折した直後の所に南側に三角形に鉄道用地が張り出しており多分信号関係の装置が内蔵されていると思われる箱が設置されていますが此処が分岐点の名残かも知れません。電車ですとあっという間に通過してしまうので見落としがちです。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/06/15 08:27
道塚駅跡補足
更に蒲田よりに尻切れとんぼのように私道の形で線路跡が伸びていたことが住宅地図に記載されていたことを記憶しておりますが現在は入り口が閉鎖されているようです。池上電気鉄道に優先権があるために迂回を余儀なくされたと50年史に書かれていたように記憶しております。戦災がこの問題を解決したのですから世の中は皮肉なものです。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/06/16 08:21
木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。
>更に蒲田よりに尻切れとんぼのように私道の形で線路跡が伸びていたことが住宅地図に記載されていたことを記憶しておりますが現在は入り口が閉鎖されているようです。
↑
ほとんど蒲田駅構内に見える場所ですが、航空写真などを見ると戦後の区画整理事業から外れた部分ということもあって「わかっていれば」しっかり残っていることがわかりますね。
>池上電気鉄道に優先権があるために迂回を余儀なくされたと50年史に書かれていたように記憶しております。
↑
目黒蒲田電鉄の蒲田駅接続は、武蔵電気鉄道から譲渡された蒲田線免許に基づくので、先願権からすれば目蒲線の方にあったと思います。より、省線蒲田駅に近接できたのが目蒲線であったことからもそうかな、と。ただ、線形が北側からだったものを南側に持って行ったことが、結果的に池上線よりも後発となって迂回せざるを得なくなったと見ています。
投稿情報: XWIN II | 2010/06/18 06:59
XWIN II様
コメント有り難う御座います。写真の駐車場の西の端の所の後ろ側に三角の鉄道用地があり南にカーブした起点でるような気がします。ゼンリンの地図でも東矢口丁目29-1の線路に面した北側の私道がやや南に斜めに引っ込んでいます。時間があれば一度線路の北側から確認してみます。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/06/19 07:36