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2010/06/15

コメント

興味深い情報有り難う御座います。道塚駅の隣に学校があったことを記憶しています。昭和20年4月15日の空襲で完全に焼け野の原となった光景が目に浮かびます。矢口の渡しを出て蒲田に向かって左折した直後の所に南側に三角形に鉄道用地が張り出しており多分信号関係の装置が内蔵されていると思われる箱が設置されていますが此処が分岐点の名残かも知れません。電車ですとあっという間に通過してしまうので見落としがちです。

道塚駅跡補足
更に蒲田よりに尻切れとんぼのように私道の形で線路跡が伸びていたことが住宅地図に記載されていたことを記憶しておりますが現在は入り口が閉鎖されているようです。池上電気鉄道に優先権があるために迂回を余儀なくされたと50年史に書かれていたように記憶しております。戦災がこの問題を解決したのですから世の中は皮肉なものです。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

>更に蒲田よりに尻切れとんぼのように私道の形で線路跡が伸びていたことが住宅地図に記載されていたことを記憶しておりますが現在は入り口が閉鎖されているようです。

ほとんど蒲田駅構内に見える場所ですが、航空写真などを見ると戦後の区画整理事業から外れた部分ということもあって「わかっていれば」しっかり残っていることがわかりますね。

>池上電気鉄道に優先権があるために迂回を余儀なくされたと50年史に書かれていたように記憶しております。

目黒蒲田電鉄の蒲田駅接続は、武蔵電気鉄道から譲渡された蒲田線免許に基づくので、先願権からすれば目蒲線の方にあったと思います。より、省線蒲田駅に近接できたのが目蒲線であったことからもそうかな、と。ただ、線形が北側からだったものを南側に持って行ったことが、結果的に池上線よりも後発となって迂回せざるを得なくなったと見ています。

XWIN II様
コメント有り難う御座います。写真の駐車場の西の端の所の後ろ側に三角の鉄道用地があり南にカーブした起点でるような気がします。ゼンリンの地図でも東矢口丁目29-1の線路に面した北側の私道がやや南に斜めに引っ込んでいます。時間があれば一度線路の北側から確認してみます。

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