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2010/05/20

コメント

耕地整理組合長の岡田氏のお宅は宮ヶ丘から鉄飛坂を降り呑み川を渡ってから再び上り坂を登って中間ぐらいの所の大きな門構えの大邸宅であったと記憶しております。緑が丘の駅から北に行った所だと思います。

XWIN II様の、資料収集能力というか、検索能力の高さに、いつも驚嘆の思いです。
木造院様の記憶の正確さや、緻密さも、すばらしいです。

「郷土目黒」どこかで聞いたことがあるなと思っていたら、碑衾村の村長だった小杉家の文書が、昭和60年の「郷土目黒」第29集にて「田園都市歓迎趣意書」として紹介されているんですよね。

こういう雑誌は、本当に貴重なものだなと、改めて思いました。

郷土史を、自分史や家の歴史とともに、構築なさっておられる方は世の中に結構いて。そうした方々の残したお言葉、文章は、かなり正確なものである場合が多いし、またおっしゃられるとおり、それが誤った通説であったとしても、「当時はこういうふうに考えられていた」という、これも一つの事実だと思います。

コメントありがとうございます。

>耕地整理組合長の岡田氏のお宅は宮ヶ丘から鉄飛坂を降り呑み川を渡ってから再び上り坂を登って中間ぐらいの所の大きな門構えの大邸宅であったと記憶しております。

仰せの通りです。ここの長屋門は今でも健在かと思います(数ヶ月前に見ました)。栗山家の方は、移築?したという話です。

>「郷土目黒」どこかで聞いたことがあるなと思っていたら、碑衾村の村長だった小杉家の文書が、昭和60年の「郷土目黒」第29集にて「田園都市歓迎趣意書」として紹介されているんですよね。

立派な区史のようなものは各地方自治体が刊行していますが、やはり敷居の高いものが多いです。そんな中、「郷土目黒」は多くの人が読めるような形で提供されているのはいいことだと思いますね。また、名誉職に区長を迎えてはいるものの、運営そのものはNPO的団体が行っているのも、役所の都合で勝手に廃止されたりしないからいいのでは、と。
ただ、後継者不足に悩んでおられるようですが…。

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