2000年11月5日、日本考古学会は崩壊した。
──から始まる本書「旧石器捏造事件の研究」(著者:角張淳一。発行:鳥影社)は、事件から約10年を経たとは思えない生々しさを思い出させてくれる。
毎日新聞のスクープ記事、旧石器を発掘し続ける名声を得ていた藤村新一が、実は発掘する石器を自ら埋めていたという滑稽な写真。こういっては失礼だが、滅多なことでは買わない毎日新聞を購入し、スクープ記事を読みまくったのは、大げさにいえば昨日のことのように思い出される。
もちろん、私は地域歴史に興味は持っているが考古学は専門外、という以上に興味の対象外と言ってよかった。にもかかわらず、この旧石器捏造事件に震撼したのは、このようなでっち上げは至るところに起こりうるのではないかという危機感のようなものを感じ取ったからである。
例えば、営利に直結する企業研究の分野において、あるいは公共(審査)機関に提出する製品のデータ提供の場において。バレなければ何をやってもいいという風潮は、旧石器発掘だけのことであろうか…という危惧も。
そんな記憶を思い起こしてくれる事件、10年という歳月を経て刊行された本書を手に出さないわけにはいかないだろう。ということで購入。今日からじっくり読んでいくつもりである。といったところで、今回はここまで。
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公式のデータと称するものを一般の素人はただ鵜呑みにする意外にこれを検証する手段を持っていません。健康診断でもメタボの基準すら揺れ動いています。ひたすら担当医の指導に従ってまだ命な長らえていますのでこれ以上を望まないことにしています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/05/21 08:51
本書をまだ読む機会に恵まれていないので内容についてはコメントできませんが、この件について、確かに日本考古学協会は終わったとおもいました。
というか、協会に責任を擦り付けるだけではなく、各考古学者自身の無責任さが露呈した(そして現在も変わっていない)事件だとおもいます。
今は考古学とことなる仕事についている私ですが、当時、学生だった私らが、捏造事件発覚直前に、先生たちに出土石器や同時発刊されていた報告書への疑問を投げかけても、潰されたのを思い出します。
事件発覚直前になると、すでに捏造のうわさが学会や学生たちの間でされていたので、それも先生に投げかけましたが、それ(捏造)はいくらなんでもないだろう、とあっけらかんと言われたのを思い出します。
弥生時代や古墳時代が専門の考古学者は、今でも、あの事件は石屋が起こした事件、猿学をやってた連中の問題だ、と自分とは関係ないという立場で、あの事件を批判、日本の恥とする人が多いですね。自分の考古学者なのに。
まったくもって、無責任極まりない。
文化庁のお偉いさん(岡村氏)がこの事件に絡んでるのですから、話にならない。
情けない限りです。
投稿情報: とおりすがりのSZユーザー | 2010/05/30 02:20
とおりすがりのSZユーザー様、コメントありがとうございます。
本日、本書の感想をアップしたところですが、問題の本質が事件にかかわった人たちだけでなく、その協会(業界)そのものの映し鏡のようになっているのも、また確かでしょう。また、この手のヤラセ的なもの、無責任体質は学会のみならず、ありとあらゆるところに見ることができるのも…。
結局のところ、物事を理解しないでうわべだけでやっているところに、このような問題が入り込んでいるように思います。私の嫌いな「5分でわかる」とかその手の類のものが蔓延しているのもねぇ。
投稿情報: XWIN II | 2010/05/30 20:08