今回から数回にわたって、Microsoft社がItanium(IA-64)に対するサポートをWindows Server 2008 R2で終了させる見込みであることをTriggerとして、IA-64の歴史を私的に振り返っていく。私的には仕事でわずかに係わったことはあるものの、自分自身のPCとしてついにIA-64にかかわることはなかった。今では信じられないかもしれないが、もともとIA-64はP6マイクロアーキテクチャの後継として、当初はP7とも呼ばれ、Mercedというコードネームも異例の扱い(コードネームのくせに正式製品名的な扱い)を受けており、将来を約束された製品、アーキテクチャだとされていた。だが、現実は…、見てのとおりである。諸行無常、というには栄華はなかったと言えるIA-64だが、発表当初の扱いを思い起こせば、それもあながち外れとは言えないだろう。
では、どのくらいの長さになるかは予想がつかないが、しばらくおつきあいいただこう。
はじめに1990年代終わり頃、Intel社は矢継ぎ早にこれまでとは異なるものを発表、あるいは出荷している。
- Pentium IIにSlot 1を採用し、このプロセッサ接続端子を自社特許で固めた。
- メインメモリとして、Rambus社と提携し、Intel社自身の特許も含めたシリアル接続のDirect Rambus DRAMを採用した。
- 従来の命令セットとは互換性を持たないIA-64を定義、64-bitアーキテクチャはIA-64のみとした。
このようなIntel社の動きをさかのぼること、約10年。IBM社は、これまでとのIBM PC/XT/ATと互換性を一部持たせない自社特許技術で固めたPS/2をリリースし、このことがPC互換機市場の自立を促したことで、IBM社はPCの生みの親としての価値しか持たない雑多なPCメーカの一つに成り下がった。このことを思い起こした関係者は、私を含め多かったことは間違いない。唯我独尊のインテル、私の周辺ではこう形容していた人が多かった。
Intel社の独自路線の3つは、それぞれ以下のような変化を生む結果となった。
Pentium IIにSlot 1を採用し、このプロセッサ接続端子を自社特許で固めた。
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AMD社をはじめ多数あった互換x86プロセッサメーカの淘汰が進み、事実上、AMD社だけが対抗馬として生き残った。Slot 1という物理的形状だけでなく、そのプロセッサバス仕様についても、独自に定義することを求められたことで、AMD社は互換プロセッサのみならず、関連するチップセットまで独自に作る必要があった。そのことが、PCハードウェアの汎用化・平準化を進め、今日の「仮想化」技術の足がかりとなったのは言うまでもない。Intel社は、他社に真似させないように特許で固めたつもりだったが、却ってPCハードウェアの汎用化を進め、結果としてこれに縛られるようになったのである。
メインメモリとして、Rambus社と提携し、Intel社自身の特許も含めたシリアル接続のDirect Rambus DRAMを採用した。
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かつてIntel社は、DRAM市場最大のメーカであったが、日米半導体摩擦とそれに続く半導体不況によって、自社の強みであるマイクロプロセッサ製造(及び工業権関連でなく著作権法の適用)への業態変化を進め、見事に勝者となった。なので、Intel社がDRAMを扱うことそのものはおかしなことではなかったが、問題は既に特殊なDRAM(各種のRambus DRAM)に特許料を設定していたRambus社と共同で、これまでのDRAMと互換性のない新インタフェースとその物理的形状をもって、市場の囲い込みをはかったことにDRAMベンダが強い反感を抱き、対(反)Intel社の隊伍に組み込まれたことが、結果としてDirect Rambus DRAMの普及にダメージを与えた。つまり、SDRAMやDDR SDRAMの価格引き下げとデータ転送レートの向上である。このことで、製造に大きなパイを避けないDirect Rambus DRAMは価格競争に対抗できず、敗北に終わった。他にも技術的要因があったが、不具合は解消されれば問題は払拭するので、とどのつまりは競争力を持てなかったことが原因であり、それがDRAMベンダの反感を買ったことがきっかけであったのは疑いのないところである。
そして3つ目の「従来の命令セットとは互換性を持たないIA-64を定義、64-bitアーキテクチャはIA-64のみとした」ことが、今回扱う対象であるIA-64である。IA-64登場の背景には、唯我独尊と評された当時のIntel社の置かれた状況、そしてその戦略が大きく影響していることは言を待たない。それは、競合他社に真似をさせない、という1980年代中盤にIBM社が採った道と同じ道を歩み、そして同じような結果を見る、まさに「歴史は繰り返す」の格好の一例と言えるものである。では以下より、IA-64の歴史を振り返ってみよう。もちろん、私の視点から見た、という前提でご理解願いたい。
次回に続く。
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