今日から2月ということで、年齢を重ねるほどに年月が早く感ずるのは、自分が生きてきた年月の長さと一年の比率が年々少なくなってくる(10歳にとっては10分の1だが、70歳にとっては70分の1)ことから自明だが、それを認めていても認めたくないものである。で、前振りはこのくらいにしておいて、今回は「Mobile 向けプロセッサ周りについて徒然と語ってみる (たぶん)」シリーズ(その1、その2、その3)の続きを書いていこう。
なお、型番からわかるように搭載していたプロセッサは、80286のセカンドソース品だった。1987年は、80386が発表されてから2年程経過していた時期だったが、当時は今ほどマイクロプロセッサの進化速度は速くなかったので、まだまだ主流は80286だった。OSもMS-DOSであり、Windowsはあるにはあったが、バージョン2.0が産声を上げたばかり。当時は80286で十分(しかもプロテクトモードでなくリアルモード)という状況だったのである。
(前回─その3─までの続き)
PC-286Lは、私にとってどういった存在になったかというと、ラップトップPCの厳しい現実であった。手に入れる前までは、当然持ち運びを前提とした使い方を夢想していたし、部屋を変えてPCを利用する際にもいいだろうし、何よりバッテリ稼働できるという点は特筆ものだった。しかし、6kg超という重量は確かに重いには違いなかったが、厳しい現実は別のところ。カラーを前提としていたアプリケーションソフトウェアではモノクロディスプレイでは「ほとんど使い物にならない」というところにあった。この厳しい現実は、今後、何度も体験することになるが、この時が最初だった。
利点も書いておこう。1つの欠点と10の利点では、どうしても1つの欠点の方が印象が残りやすいものだが、記憶を呼び覚ましてみると「持ち運び」できることが大きなものだったことは間違いない。ビジネスの現場、というよりは家庭での場合、PC-286L導入前までは、PCの利用にあっては必ずPCのあるところまで移動して、それを行う必要があった。かつてのマイコン(NEC TK-80シリーズ等)であればそんなことはなかったが、シャープMZ-80あたりから持ち運びが憚られるようになり、PC-9800シリーズが主流になる頃には持ち運びなどする法がおかしかった。なので、どうしても必要な場合は、プログラム電卓やポケコンのようなものを利活用するしかなかったのである。
そういった状況だったところに、フルスペックのPCが持ち運びでき、かつバッテリ稼働できるという利点は、PCの使い方に大きな幅を広げたというわけである。
セイコーエプソンのPC-286Lは本家NECを先んずるものであったわけだが、無論、NECもこれを黙ってみていたわけではない。BIOS著作権問題を出すのはもちろん、真のPC-9800シリーズとしてのラップトップPCの登場を促すことになる。だが、この開発には難渋したようで、PC-286Lの登場に遅れること一年以上。PC-9801LSという名前でデビューしたNEC初のPC-9800シリーズラップトップPCは、当時、東芝が得意としていたプラズマディスプレイを搭載(その昔、PC-9801Uシリーズにラインナップされたこともあったが、歩留まりと価格が高価なためほとんど出なかった)していたが、カラーではなかった。PC-286Lでモノクロ階調表現だったことがネックだったことを体験していたので、まったく興味が出なかった。
その翌年となる1989年(昭和64年、平成元年)は、時代を画するPCが登場した。東芝からDynabookの名を冠したJ-3100SSの登場である。これまではラップトップPCという名のごとく、5kg超は当たり前で、とても常時持ち歩きをしようとは思わない重量だったものが、実に2.7kgと従来の半分未満を実現し、大きさもA4ファイルサイズとこれまでのラップトップPCの常識を覆すだけのインパクトを持っていた。アーキテクチャはもちろん、我が国で普及していたPC-9800シリーズとまったく互換性などなく、IBM PCアーキテクチャであった。だが、そんなことはどうでもいい。価格も安価(これも当時としては破格の約20万円と半値以下)だったこともあって、発売日その日に秋葉原まで出向いて購入した。訳もなく持ち歩いてみたり、会社まで持って行って見せびらかしたのもいい思い出である(見せられた方は何逸れ~みたいな感じだろうが)。
と、ほとんどMobileプロセッサにふれることもなく、今回はここまで。
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