昔語りになってきたなぁ(笑)としつつ、まぁいつものことなのでご容赦願いたい。ということで、その2の続き。
i386SLは、Mobile向けプロセッサの黎明期の先駆けといえたが、まだまだプロセッサ以外のものがラップトップPCクラスのものを作るのに精一杯だったため、高価で特殊なi386SLを使うよりも、i386SXのような安価で汎用プロセッサを使う方がよかったし、それならば競合他社からリリースされたプロセッサの方が性能が高く、一方で価格は安価だったので、好き好んでIntel社のプロセッサを選択する理由などなかったのだった。
1990年代初頭には、i386の性能を大きく向上させたi486がリリースされていたが、まだまだノートPCで使うには32-bit外部プロセッサバスを引き回すことは実装面積等で難があり、16-bit外部プロセッサバスで十分というよりも必然に近かった。搭載メモリ(RAM)が最大でも4MB(GBにあらず)程度であった時代には、32-bit幅はオーバスペックであり、内部バスも24-bitに制限されていたがそれでも十分だったのである。
こういったものが、i386SXピン互換という形をPCメーカが求めていた理由であり、それに乗ったのが互換プロセッサメーカだった。NECがいわゆるノートPC向けはもちろん、それ以外の当時としては安価なデスクトップPCにi486SX(J)を採用し、それをIntel社が供給せざるを得なかったのは、当時日本の主流だったPC-9800シリーズがIntelプロセッサからAMD社やCyrix社に流れてしまっては元も子もないので、仕方なく特別にリリースしたものだった(本来、部品メーカは完成品メーカの言うことを聞くものだが、こういった常識が通じないのがPC業界)。
この頃、私はどういったノートPCを使っていたのかを思い出してみる。かれこれ20年以上昔の話なので、正確性を欠くことはご容赦いただきたいが、一番最初に手を出したのが、セイコーエプソンのPC-286L。1987年(昭和62年)、NEC PC-9800シリーズ全盛期にセイコーエプソンがPC-9800互換機を発表した中の一つとして、事実上最初の完全PC-9800シリーズのラップトップ版だった。本家のNECはその前年(1986年)、PC-98LTという重量は3kg超の今でも十分サイズ的にはノートPCと言える製品をリリースしていたが、9801と名乗れないことからわかるように完全互換ではなく、それほど人気は出なかった。同じく当時は絶対的な人気を誇った日本語ワープロソフトの一太郎も98LT専用版が用意されたが、完全な98互換でないことが嫌われたのだった。そういう中で、セイコーエプソンが「ほぼ」完全な98互換のラップトップPCを発表したことで、単に9800互換機の発表以上にインパクトがあったのだ。
しかし、PC-286Lには不満もあった。当時は当然だったが、カラー液晶パネルなど有りはしないので、モノクロ液晶。それも昔にプログラム電卓等に使われていた下地が緑色のTN液晶。高価な方は下地が白色だったが、価格差が大きくどうせモノクロなのだから、と安価な方を選択した。だが、カラーが前提の多くのソフトウェアはほとんどモノクロでは階調があっても識別困難で、いくらCRTディスプレイにつなげればカラー表示が可能と言われたところで、それでは何のためのラップトップPCなのかということになってしまう。
また、ラップトップと言いつつも実際はラップクラッシュと言われるほどの重量があった。PC-98LTの倍までは行かなかったが6kg超という重量は、気軽に持ち運ぶなどあり得ず、その上、何かにぶつけると簡単に壊れそうな印象を持つほどであった。本当は頑丈なのかもしれないが、当時はPCのような精密機器を持ち運ぶなどと言うのはあまり考えられないことだったので、そういう印象を持ったのかもしれない。なお、北米では今はなき(HP社に合併)Compaq社が最初の製品としてCompaq Portableを1983年(昭和58年)にリリースしたが、重量は12kg超過。ラップトップPC初代として、当時としてはデスク上に鎮座する本体とCRTディスプレイを一体化し、持ち運び可能としただけで画期的だったが、体力のある米国サラリーマン対応というべき重量だった。その後、東芝がT-1000シリーズで4kg程度という画期的なラップトップPCを1985年にリリース。正直、これはほしかったが、IBM PC互換機ということ(日本語使えない)とやはり価格がネックだったことで諦めた。
そういった悶々とした重い…いや想いがPC-286Lの発表で一気に吹き出したのだった。
なお、型番からわかるように搭載していたプロセッサは、80286のセカンドソース品だった。1987年は、80386が発表されてから2年程経過していた時期だったが、当時は今ほどマイクロプロセッサの進化速度は速くなかったので、まだまだ主流は80286だった。OSもMS-DOSであり、Windowsはあるにはあったが、バージョン2.0が産声を上げたばかり。当時は80286で十分(しかもプロテクトモードでなくリアルモード)という状況だったのである。
──と、今回はここまで。この調子で書いていくといつ終わるのか見当が付かないので、明日はとりあえず別の話題で行く予定である(と思う)。
これ系の話は大好きです!!
定番テーマとして詳細に書き綴ってほしいです!!
投稿情報: じゃじゃーん | 2010/01/29 05:27
じゃじゃーん様、コメントありがとうございます。
今後もご期待に添えるように、記憶を呼び覚ましながら定期的に書いていくつもりです。
思い起こせば、以前やっていたXWIN II Web Pageも、当初は地域歴史研究で行くつもりが、いつの間にやらPC関連のものがほとんどになっていたのでした。そんなわけで、徒然と綴っていきますので、今後ともよろしくお願い致します。
投稿情報: XWIN II | 2010/01/29 07:29