「一枚の写真」のコーナーです(苦笑)。
どこかで聞いたことのある、というかまんまのコーナータイトルですが、今回から不定期で(忘れてしまったら今回限りの可能性大)連載予定の「一枚の写真」。第一回の今回は、タイトルにも掲げたように「池上電気鉄道時代の五反田駅遠望」です。掲載元は、昭和7年(1932年)に刊行された「大崎町郷土教育資料」という本から。この書籍は、東京府荏原郡大崎町が東京市に合併されることを記念して発刊されたものだが、なかなか興味深い写真がいくつか掲載されている。その一つがこれである。
空が広かったので部分掲載。遠くに見える松の木は、池田山(現 品川区東五反田五丁目)にあるもので、江戸期より人々の目標ともなったことだろう。さて、写真中央を貫いているのは、高架部分の池上電気鉄道線(現 東急池上線)で、左側には大崎広小路駅があり、特徴的なS字カーブを経た先に五反田駅の構造物(屋根等)が確認できる。大崎広小路駅そばに小さい一両編成の電車も確認できるが、ビルが建ち並ぶ現在と比較しても、建物が建て込んでいるような印象を強く受ける。とはいえ、高架線よりも高い建物は見えず、高架線がいかに目立つ存在だったかもわかるというものだろう。
といったところで、今回はここまで。
これはすばらしい写真ですね。
五反田の古い写真は、時々見かけるのですが、中央に池上電気鉄道が配置されている光景は、珍しいもので、大変貴重なものだと思います。
ありがとうございます。まさに「眼福」♪
投稿情報: りっこ | 2009/12/21 10:32
左側に見える校舎風の建物は多分立正大学でしょう。孫がお世話になっておりますので感慨もしとしおです。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2009/12/21 18:36
りっこ様、木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。
この写真、私も初見時には「これはすごい!」と思ったものです。ただ、すっかり忘れていまして、写真データを整理していたら今回偶然気がついたので掲載してみた次第。
五反田駅方向を見ると、どう見ても白金方面に延長するぞ!というようにしか見えないのも面白いところ。今も五反田駅ホームに立つと「ずいぶん高いな」と思わされますが、当時は高層建築物も少なかったでしょうから、眺望の良さをアピールできたかもしれませんね。
投稿情報: XWIN II | 2009/12/22 07:10
最近になり、急に気になるようになってしまいました。
池上線五反田駅、駅ビルのない時代は、どうやってプラットホームから地上まで降りたのだろう?
階段はどこについていたのだろうか、ということです。何しろ地上からはるか上ですから、それなりの階段がついていなければいけなかったはず。でも、そういう話題、聞いたことがないんですよね。皆が皆、山手線乗り換えのはずもなく、そうなると、相当長い階段を上り下りしたはずなのですが。
投稿情報: りっこ | 2014/01/17 05:49
開業当初の写真がないので何とも言えないところですが、図面上はホーム端から階段で下に降りる構造となっています(大崎広小路駅と同様のスタイル)。
(おそらく)同時施工で現在の駅ビルの基礎となる2階建ての建築物は、建てられていたはずですが、実利用は昭和4年以降ということを踏まえれば、今のようなスタイル(建物内階段)ではなくマンションの外階段的なものではなかったかと(囲いくらいはあったでしょうが)。
なお、JR(当時鉄道省)山手線との接続(乗り換え)階段は、駅ビル(白木屋)入店よりはるかに後のことです。
投稿情報: XWIN II | 2014/01/17 07:30
現在は3両連結ですが、当時は1両でしたのでなんとか乗降客を捌けたのでしょう。たしかに白木屋の階段を利用するのも年とともに苦労でしたので、時間が掛かってもバス利用することが多くなってしまいました。情けない話ですが、今日では都営地下鉄を利用するときも、入場券を買ってエスカレータやエレベーターを利用して一旦JRのホームを利用して、雨ざらしの歩道橋の階段を避けているのが実情です。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/01/19 13:39
追伸
あらためて写真を見ると池上線の五反田駅は目黒川を渡ってさらに上昇しておりますので、地面からはかなりの高さとなります。
それにしても浅草橋駅もかなりの高さで、おまけにエスカレータもエレベータも無いと聞いておりますので、如何に乗降客が少ないとは言え、若しほんとうなら玩具の問屋の方々にも配慮された方が良いと思います。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/01/20 00:11