今朝、家人から「なんでいきなり解雇されて路上生活になるの?」と尋ねられた。
あれこれ話を続けた後、「いくら薄給と言っても、寮生活なのだからわずかでも貯金して安アパート借りられるだろう」となり、保証人問題は少なからずあるとしても、確かにそのとおりだと感じた。
自身の若い頃(戦前や高度経済成長期じゃないです。もっと後)を振り返ってみれば、自立するため、親からの補助を一切受けなくなり、会社の寮にいる間にわずかだが15万円ほどカネをためた後、家賃15,000円のアパートを借りた。保証人は社の上司になっていただいた。手取りは10万を切っていたが、これでも独り暮らしなら何とかなるものである。寮よりもカネのかかるアパート生活だったが、限られた収入を有効に使い、身の丈にあった生活を営んでいれば困窮しているはずもない。
また、仕事がまったくないわけでもない。選ばなければ何でもある、とまでは言わないが、特別な資格が必要でない仕事はごまんとある。とはいえ、ハローワーク等で聞こえてくるのは、失業者や相談者たちのわがまま…いや、職の選別である。40、50にもなって今さら仕事を変えたくない、ということのようである。
つまり、これは生活をまともに営むだけの知識がなく、やる気がないということにほかならない。すべてがみんなそうであるはずもないが、いわゆる派遣労働者がまともに貯蓄をしているというのをほとんど聞かない。それどころか、給与が少ないと言っている割には遊ぶ金はしっかりあるようで、地方の工場周囲にある盛り場は賑わっている(不景気になる前)。まったく遊ばないというのはないにしても、それでも一定の貯蓄ができるまでは遊ぶのは控えるべきだろう。しかし、そういう方たちの多くはその日暮らしを満喫されていたように見えた(余計なお世話だが)。
労働者と労働市場のミスマッチング、そして生活を確立するだけの収入、という問題が喧しいが、結局のところ、自己責任論を大上段に振りかざすつもりはないのだが、自己努力不足と思えてならない。成功者に対して、運がよかった、才能が違う、天才だ、などと非成功者はいうが、努力というものを軽く見過ぎている。けっして成功者とはいえない私ですら、そう感ずる。そして、天才であったとしても何も努力なくしてそれを活かすことなどできはしない。もちろん、努力も身の丈レベルまでしかできないが、それすらできない、やらない人たちに対し、どこまで手をさしのべるのが適切なのか。そんなことを仕事納めの今日、思うのだった。
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