昨日は、金曜で月初めだというのに、定時に帰宅できたこと。そして、相方が出かけていることもあって、久々のゲームプレイに耽溺することができた。数多く残っている積みゲームのわずかばかりが解消されるだけだが、千里の道も一歩からというように、少しずつプレイして楽しんでいければいいと考えている。
さて、私のゲームプレイ環境は、PSシリーズはすべて一台でまかなっている。PLAYSTATION 3 60GB版、これ一台でPlayStation、PlayStation 2、PLAYSTATION 3という3つのプラットホームすべてをプレイすることができる。そして、肝心のゲームプレイに欠かせないゲーム画面表示環境は、いわゆるフルHD対応の液晶ディスプレイ、いや液晶テレビである。いわずもがなだが、この表示環境においては、低解像度のソースをそのまま表示させると、640x480クラスの液晶テレビよりもきたない画面となり、見るに堪えないものとなる。そのため、ドット補完機能的なスムージングやアップコンバートなどが欠かせないものとなる。
だが、建前上は一昨日の1月31日、SCEはPlayStation 2互換を持つ初代PLAYSTATION 3の出荷を終了し、それ以前に一部を除き、ほぼ見ることができない状態となってしまった。PlayStation文化であったはずの過去の資産を継承するというキモが、40GBモデルの登場により失われて久しいが、ついにこれをもって一つの重要な文化を自らの手で葬り去ってしまったのである。
確かに、製造原価割れ問題はSCE、SONYにとって重い課題である。なので、40GBモデルが出ること自体は何ら問題がないどころか、企業戦略としては正しいものである。だが、しかし。上位モデルという形で残せないなら(二機種併存というのが量産効果にマイナスなのはよくわかる)、ソフトウェアレベルでの互換性について光明が見えるまでは、何とか旧モデルを維持してほしかったと思うところである。実際は、単に在庫一掃というだけなのかもしれないが…。
PlayStation 2のゲームはPlayStation 2で、というアナウンスも詭弁に聞こえる。何のために、PLAYSTATION 3にPlayStation 2互換機能をそもそも搭載したのか。それは、ソフトウェア資産を無駄にさせないという企業姿勢、文化そのものだろう。引き続き、PlayStation 2を新モデルで生産するのだからそんなことはない、というのだろうが、いわゆるハイデフ環境をユーザに促しながら、その一方でPlayStation 2のゲームは貧弱なロゥデフ環境を用意しろ、我慢しろ、ということなのだろうか。そこまでいうのであれば、新型PlayStation 2にHDMI端子が接続できるようにし、HDDを搭載するなどして、PLAYSTATION 3旧モデルで実現しているようなアップコンバートや8MBメモリカードなどを必要としないモデルを用意すべきだろう。単にコストカットの名目だけで、いやコストカットに尾ひれをつけたもっともらしい理由をくっつけて、しらばっくれたような姿勢は、営業畑出身のトップらしい仕種だと思わざるを得ない。
一部に怪しい動きがないわけではないが、PlayStation 2のゲームをPLAYSTATION 3旧モデルでプレイし、フルHDテレビでプレイすることは、間違いなくPlayStation 2でプレイし、標準解像度のテレビあるいはフルHDテレビでプレイするよりも優れている。過去の資産、になりつつあるものが、最新の環境で蘇るという文化という面からみれば大いなる資産であったものが失われた。聞くところによれば、PLAYSTATION 3上でソフトウェアエミュレートする、ということも検討されているようだが、SCE推奨の開発環境だけで作られたソフトウェアならともかく、トリッキーなプログラミング、シビアなタイミングをハードウェア依存しているようなソフトウェアの場合、単なるエミュレートだけでは相当に厳しいだろう。EE+GSを搭載しているPLAYSTATION 3旧モデルでさえ、完全互換は困難なのだから。
そんなわけで、久々にゲームをプレイして、こんなことを思った。
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