本当にできるのか? 選挙向けのポーズに過ぎないのか? 無理難題を押し付けてそれができなければ社会保険庁に責任を押し付けて知らんぷりか? 真意は見え見えだが、あえて断言はすまい。ただ、間違いなく言えることは、突貫工事であるということである。年度内に終わらせるというのは、何を以て終わらせるのか。そのあたりはしっかりと押さえておかねばならないだろう。
年金問題について様々な意見があり、消えた(宙に浮いた)年金記録についても、実態が徐々にではあるが明らかにされてきている。新たな社会保障番号制度やら、住基コードとの一体化等、新制度の声も喧しい。先月末には、社会保険庁の解体に直結する法案も参院を通過し、成立した。そして、参院選突入。これから、ますます大風呂敷の広げあいはヒートアップしていくに違いない。
しかし、落ち着いて考えてみれば、一番の疑問としてなぜ記録漏れが生じたのか、という点である。一つや二つならば、人のやることなのでやむを得ないところはある。だが、およそ5,000万件という数は尋常ではない。なぜ、このようなことが起こるのだろうか。私は、本質的な問題がそこに横たわっているのではないかと感じている。
一般的に、仕事量に応じてコストが決まり、それによって投入する資源、そして期間が求められる。早く完成させるには、多くの資源を投入し、投入する資源が限られているならば、それだけの(応分の)期間を要するのは必然である。そのことは、次の関係式を持ち出すこともなく自明のことである。
資源 × 期間 = 仕事量(コスト)
しかし、私のこれまでの少ない経験から判断するには自信が持てない部分はあるが、公的機関とのシステム開発関連での打ち合わせを行う際、どうもコスト意識に欠けることが多いと感ずる、いや、まったくコストがどれほどかかるのかという意識すらないことも多い。あるのは、どこから算出したのかわからない予算額と、まったくバランスの取れていない仕事量(たいてい公的機関側が把握できていないことが多い)。要は、どれだけの仕事量なのかという把握がいい加減であり、かつ、それに基づくコスト算出も杜撰なのである。
それを元に仕事ができるかといえば、無論、できるはずがない。未だにシステム開発について、人/月算出方式をとっているところも少なくないが、データ入力作業または移行作業については、これを適用することに異論はないだろう(あるいは少ないだろう)。なので、正確なコスト計算ができていれば、本来、記録漏れなど生ずることはないはずだが、この当たり前のことができていないため、現場にすべてしわ寄せが集まり、それが組織疲労を起こした上、放置され続けてきたというのが実態だろう(もっともこのことは、最近は企業でも珍しくなくなっているが…。悲しい現実)。
にもかかわらず、今年度内に解決するかのような昨日の首相談話だった。既に、しっかりとしたコスト計算を行っているのだろうか。11月までにシステム開発が終了するという話だが、まさか見切り発車するのでは?という心配が早くもあるが、システム開発をたぶんまったくご存じないであろう首相が、どのような説明を受けたのか想像できてしまうが、そういうところに危うさを感ずるのは私だけではあるまい。
そもそも社会保険庁を悪の権化のように言っているが、根本的な問題はすべて厚生省(現 厚生労働省)に端を発する。その理由は、当初より全国統一されていた台帳管理を都道府県単位に分離したことにより、都道府県をまたぐ住民異動によって必ずしも追跡ができるわけではなくなったことによる。時代背景を考えれば、戦後のどさくさにまぎれて、生きていた人も死んだ扱いになったりするような時代であり、厚生関連業務は他に優先することは山積していたため、おろそかにならざるを得ない状況はわからないではない。しかし、対策を先送りすればするほど、この手の問題は解決までさらに多くの年月が必要となる。
結果、どうにもならないところまで進んだことで、年金事務に特化する形で厚生省から分離され社会保険庁が誕生した、というわけである。つまり、年金記録問題が内部で問題化し、解決できないところまで追い込まれていたので、厄介払いのごとく、厚生省から年金事務が切り離されたという疑いである。無論、当時はもっともらしい理屈をつけて社会保険庁を誕生させた(今でいえば、もっともらしい?理屈をつけて社会保険庁を解体し、新組織に移行させるようなものである)に違いないが、年金記録問題の責任回避のために切り離し、何十年も経って功を奏したということである。事実、厚生労働省はほとんど批判の対象となっていない(歴代厚生大臣、厚生労働大臣は別。厚生労働省本省の官僚は見事に責任逃れできた)。
話が横道に逸れつつある & 長くなってきたので、このあたりで次回に続くとします。
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