プロ野球の裏金問題や、高校野球の特待生問題など、腐りきった野球界の問題が様々な形で噴出している。野球は、戦後、大衆娯楽として大きくその地位を向上させてきたが、最近は「多様化」という言葉では括ることができないくらい、凋落傾向が続いている。有力選手が米国メジャーリーグに流出していることも原因には違いないが、それ以前に、既に野球は特別なスポーツでなくなっている事実に気付くべきだ。
特待生制度は、他のスポーツ等では当たり前のように採用されているが、なぜ高校野球だけがダメなのかという理由は、お年寄りたちが戦前(もう65年以上前の話である)に遭遇した、野球に熱中しすぎて学習がおろそかになってしまったことを反省してのことらしい。
随分と伝統を重んじているといえば聞こえはいいが、理想論を語りすぎるあまり、現実を直視せず、問題が発覚したら理想論を押し付けるだけ。それが教育の一環だと言えるのだろうか、憲章の検証を長年放置してきた責任はどこにあるのだろうか、と考える。
ただ、もっと重要なことを忘れている。野球はそれほど特別な存在なのか、ということである。今やそんな時代ではないのに、野球が社会に大きな影響を与えるがごとく言っているが、たかが野球ではないか。そんなに騒ぐほどのものではないのだから、他との部活動とバランスをとるくらいの姿勢がほしいものだ…が、そうは思っていない人たちが決定権を持っている以上、無理か。
野球が上手だというのは、その子の才能でしょう。数学ができる。国語が飛び抜けている。学力は群を抜いている―、などで特待生の扱いを受ける人は沢山います。勉強ができるのも才能なら、野球が上手なのも才能でしょう。なぜ勉強ならよく、野球なら駄目なのでしょうか。陸上やスケートならよく、野球はどうして駄目なのでしょう。
「学生野球憲章」は守るべきものでしょうが、時代に合わなくなったものは改正するのが世の習いです。オリンピックがいい例です。そんなにお金を稼ぐのが悪いことなら、プロアマ混合のオリンピック出場など、日本は辞退すべきでしょう。野球が上手なのも才能です。貧しくて高校や大学へ進学して野球ができない少年を、奨学金で支援するのがそれほど悪いことなのでしょうか。学校の宣伝や売名行為に使うのは好ましくないのは十分に分かりますが、だからといって才能のある少年の望む道を閉ざしていいとは思いません。
投稿情報: 富士 | 2007/05/17 14:36