スーパーファミコン末期を思い出す~。
今のNintendo DS(ニンテンドー DS)は、ソフトウェアラッシュを迎えつつある。ゲームメーカはもちろんだが、販売台数の伸びに群がる、一攫千金目的の異業種からの参入も後を絶たない。安易に作ることができるクイズゲーム類、そしてキャラゲーの多さがその証左だが、どうも話はそう単純ではなさそうだ。
それは、開発費用の高騰。PLAYSTATION 3の敷居の高さは言うに及ばずだが、Nintendo DSでも昔のゲーム機に比べれば、ハードウェアの複雑さはもちろん、ソフトウェアレベルにおいても複雑さを増している。もちろん、これまでの蓄積によって簡単になってきている部分はあるのだが、ゲームの「肝」と言うべき、新要素(ユーザに飽きられていないモノ探し)追求は困難を極めている。
一方、開発費用の削減は、単純に人件費の削減で賄われ、複雑化する開発工程とは反比例となってしまい、その上で完成させるには自己犠牲を伴うか、手抜きを行うかのいずれしかない。思い入れがなければ、どうしても後者となるのは必然だろう。
ライトゲームユーザは、一般的にゲームに対する思い入れはない、あっても大変少ない。以前のスーパーファミコンユーザの多くも、それはライトゲームユーザであり、クソゲーの山の中でゲームそのものを見限ったという歴史がある。そして、Nintendo 64で舵を誤った方向に切ってしまったため(検閲制度によるゲームのリリースを制限)、PlayStationに市場を奪われたという苦い歴史もだ。安定した優良コンテンツがあれば、多くはとどめることができるかもしれないが、ゲームばかりをやっているものではない。
気のせいかもしれないが、Nintendo DSの隆盛とクソゲー予備軍ラッシュのおそれが高い2007年。当時と違う任天堂執行部が、どうこれを乗り切っていくか。今年はそれが大きな楽しみの一つだ。
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