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2006/11/19

コメント

XWIN II さん、こんにちは。
「好きなことやろう」のKEIです。お久しぶりでございます&8周年おめでとうございます♪

XWIN II さんトコは、更新頻度が高かったので、一時期は(余計な)心配をしたりもしましたが、こうして再び精力的に更新されている様子を拝見すると、なんとなく感無量です~(^^)。

以前にも何度かこの「大鳥居」のような地域ネタを扱ってらっしゃったと思うのですが、資料調査のため図書館も利用される姿勢に感服いたします。

http://www.daibutu.jp/
最近↑こんなサイトを運営し始めたので、超ローカルな地域史なんかを調べたい時があるのですが、ネットで検索するだけに留まってしまいがちなのです(^^;)。足を動かさないと手に入らない情報もありますよね。

KEIさん、大変ご無沙汰しております。お元気ですか~。私は今んところは元気でやっております。

さて、地域ネタ…というか、地域歴史研究は、私が思うにネットの世界と縁遠い世界の一つだという印象を持っています。逆にコンピュータ関連は、ネットの世界とほぼ重なっているので、古典でさえ書籍を漁らなくても手に入りますが、地域歴史関連はそうはいきません。しかも、ネットはいい加減率も高いんですよ(たまたま見たものがそうなのかもしれないですけどね)。

そんなわけで、地域の歴史を調べるには、地元でなくとも図書館辺りで調べるのが、結果的に早道であることが多いです。

さてさて、大仏とはどういうことで興味をお示しになったのでしょうか。案外聞いてもわからなかったり、多分に人それぞれではありますが、ざっと拝読した感じでは、興味深いものだと思いました。茨城県牛久の大仏?だったかな。これも大きいですよ、ということでこれにて。

「羽田史誌」に掲載されていた手書き地図、老眼鏡に虫眼鏡を通して、たいへん懐かしく拝見しました。
我が家は地図の左下(産業道路に面して)にあり、戦災にあい一時糀谷(羽田のとなり町)に転居しましたが、昭和23年ころに反対側に引越してきました。
以来40年間を当地で過ごしましたが、地図に記載されている交番、商店名の正確さに驚きました。ただ京浜急行のバスの車庫の前あたりにあったと記載されている「穴守稲荷の赤鳥居」は記憶にありません。私が小さすぎたのかもしれません。
あなたがなぜ大鳥居に興味を持たれたかも、知りたいところです。
ありがとうございました。

5年以上前の記事に対してコメントいただき、どうもありがとうございます。
さて、私が「大鳥居」に対して興味を抱いたのは、この地が出張でたまに出かける場所であるほか、大鳥居を名乗っていながらまったく現在はそれがないということによります(blog本文内にも記してますが)。
やはり、その地の歴史に興味を抱くきっかけは、なぜそういう地名なのか?という点が大きいように思います。そういう意味では、あっさり現代風の名前に変えてしまうのはいかがなものかとは思いつつも、変わることも歴史の営みであるとも感じ、頑迷に変えてはならないという意見には与したくないとも感じています。

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