明けましておめでとうございます。
2025年が始まりました。そして、当Blogですが、昨年(2024年)はわずかに1本の記事で終わったようです。いや、ようですではないですね。1本の記事のみでした(苦笑)。しかも、前回が1月1日の記事でしたので、丸1年空けていたことになります。空けましておめでとうすいませんの間違いってとこですか…。
さて、先ほど地元の神社仏閣に初詣で出かけて戻ってきたところですが、一年の計は元旦にありということで、様々なことをやろうとする気持ちはあるのですが、当Blogにおいては見事に年間二桁という謙虚な目標すら達成できないことに気づき、いやはやなんともなどと思うところ。
結局、習慣だということは既に当然に気付いており、旧Twitterはほぼ毎日何らかの書き込みをしているので、まったく書く時間がないというわけではない。とはいえ、手間のかかり方は異なるわけで、そこは仕事の多忙故、ってところはあるのだって振り返るのもここ数年全く変わってもいない。
ということは、ここがそれなりに記事が増えていくには、仕事が暇になるか(退職の日までそうはならないだろう)、旧Twitterが嫌になってやめたときくらいということか。いや、そもそも形として残るものとして書籍を出そうかとも思っているので、それの後になるか、あるいは書籍を書くことの練習台として、これを活用しようとするくらいか。
いやいや、やっぱり加齢によるものだとも思うのだ。なぜなら、前(若い頃)は考え込む前にはやっていたわけで、どうせならやってから後悔しようという行動原理だった。しかし、経験値が上がると考えてからやるようになり、それがいつしか考えるだけになって行動しなくなるという隘路に陥ってしまうという悪循環。これが、第三者に促される(付き合わされる)ようなものであれば、自分自身動かざるを得ない(そこまでしてやりたくないというわけでもない)ので、隘路から抜け出すことができるようになる。
と、昨年正月と全く同じことを書いてしまった。ここまでの手抜き記事を書くようでは、加齢や習慣だけが理由ではないと思う。今年、いや昨年末、多忙な期間がずっと続いていたからかもしれない。若い頃と同じような働き方などできないとわかってはいても、ついそこはそれでやってしまうし短期間ならやれてしまう。ただ、その反動も大きいということなのだろう。
この一年、改めて確認できたのは、時間ができた時にやろうとしていることはできないという厳然たる事実。やりたいことはやれるうちに計画を立ててやる。そう年頭に誓いを立てつつ、今回はここまで。
コメント