新年以来、3か月ぶりの記事となります。さて、前書きはこの辺で本文に進もう。
1964(昭和39)年10月1日、東海道新幹線が東京〜新大阪間で開業した。同日、東海道新幹線との乗換駅として誕生したのが、新横浜駅である。東海道新幹線と在来線である横浜戦との交点に作られた。東海道新幹線開業当時、駅は以下の通りである。
- 東京(ひかり停車)
- 新横浜
- 小田原
- 熱海
- 静岡
- 浜松
- 豊橋
- 名古屋(ひかり停車)
- 岐阜羽島
- 米原
- 京都(ひかり停車)
- 新大阪(ひかり停車)
以上のうち、在来線との接続がなかったのが、新横浜、岐阜羽島、新大阪(大阪市営地下鉄御堂筋線が同年9月24日開業しているので、厳密に言えば接続がなかったわけではないが、新幹線駅開業によって設置)の3駅で、うち、岐阜羽島は周辺に鉄道路線すらない新幹線単独駅で、有力議員の我田引水だと噂された例外的なもの(線形からすれば岐阜市につなげないのが妥当なので、岐阜市に乗り入れないための妥協駅なのだろう)。そして、新大阪駅は戦前の弾丸列車構想時に当該駅と想定された東淀川駅の経緯を踏まえれば、在来線との接続がないとはいいにくい。そうなると、新横浜駅だけが特異な経緯で誕生したとなるだろう。
東海道新幹線の最初期の駅を見れば、先にふれた岐阜羽島駅を除けば、県庁所在地や有力な地方都市、鉄道輸送の結節点という観点から妥当な設定である。横浜駅や大阪駅に乗り入れない理由は線形の問題もあったため、終点でもある新大阪駅は大阪駅との接続が開業当初から意識され、実際、開業時には先にふれた御堂筋線や在来線の駅が同時開業し、大阪方面との接続が確保された。一方、横浜駅との接続を目指す新横浜駅は、東海道新幹線の線形から見れば、南武線の武蔵小杉駅付近、東急東横線の大倉山駅〜菊名駅間、横浜線の菊名駅〜小机駅間、相模鉄道西谷駅付近の4か所が想定されるが、武蔵小杉付近は横浜駅から離れすぎている上、川崎市内であること。東急と相鉄は他社路線であることを踏まえれば、自ずと横浜線の菊名駅〜小机駅間となる。偶然ではあるが必然という選択肢であったものと思われる。
新横浜駅開業前。中央部の水路との交点付近が新横浜駅となる(©国土地理院)
だが、肝心の横浜線は当時単線であった。そこで順次複線化工事が進んだが、最初は菊名駅〜新横浜駅間が1967(昭和42)年に完成し、横浜線の起点である東神奈川駅までは翌1968(昭和43)年には完成したので、いち早く横浜駅までの輸送力増強が必須となっていた。また、当初はこだま号のみ停車となっていたが、1976(昭和51)年7月1日のダイヤ改正によって、1往復のみだが、ひかり号停車駅になった。その後、のぞみ号の登場、ひかり、こだまの削減など紆余曲折があり、2008(平成20)年3月15日のダイヤ改正で、ついに全列車が新横浜駅に停車するようになった。
こだま号のみの停車駅から全列車が停車するようになったのは、新横浜駅そのものの利便性が向上したことが大きい。1985(昭和60)年、横浜市営地下鉄が新横浜駅まで延伸され、横浜駅方面からのルートが横浜線以外からも確保された。さらに、1993(平成5)年には、東急田園都市線あざみ野駅まで延伸され、横浜市北部などからのルートも開拓され、名実共に横浜市をフォローアップする新横浜駅となったのである。
そして、2023(令和5)年3月18日、ついに4番目の路線である東急新横浜線と相鉄新横浜線が相直運転を開始し、大和市、海老名市方面や川崎市方面へも新横浜駅の駅勢圏を延ばした。今後、ますます新横浜駅は鉄道交通の結節点として発展するだろう。そんなことを考えつつ、今回はここまで。
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