この時期ともなると、様々な媒体が2019年を振り返るようになってくる。久しぶりにBlog記事を更新したことから、短文慣れの脱却が進んだためか(苦笑)、連日で更新してみようという気分も併せて、自宅でのPCメイン環境について振り返りつつ、軽く語ってみることにする。
最近の読者(苦笑)の方もおられるかもしれないので、簡単に私のPC(マイコン)歴を振り返っておくと、最初の洗礼は小学生時代のNEC TK-80である。当時、コンピューター(敢えて「ター」と伸ばす)という言葉自体は普及していたが、何者(物)かを理解していたかわかっていた人はほとんどいなかった。いたとしても、
このようなピカピカ光り輝きながら機械音声っぽい声で会話ができるSiri、Alexa等と同じような音声ユーザインタフェースを持ったものとか、部屋全体を占める巨大な箱状の機械に、オープンリールテープがくるくる回っているようなイメージしかなく、明らかに誤解している人がほとんどだった。上画像は、アニメ「バビル2世」に登場するコンピューターだが、すべてはこいつの指令で正義の味方は動いており、バビルの塔は主題歌からも「コンピューターに守られた」と吹聴されていた。当時から、子どもにTVを見せてはならないという論は多かったが、今思うと成る程と得心してしまう(苦笑)。
こういうものがコンピューターだと思っていた私にとって、TK-80は衝撃的だった。それはあまりに小さく、しゃべりもしない。無論、バビルの塔を守ったり、ショッカー首領の正体が記憶(音声記録)できるような物でもなかった。さらに日本語も通じない。TK-80に通じるのは、マイクロプロセッサ8080のバイナリのみ。いわゆるマシン語モニタすら、起動時に自らプログラミングして(というより添付プログラムリストを見ながらテンキーでひたすら入力)行わなければならなかった。小学生にして、理想と現実の落差を思い知ったのである(失笑)。
と、この調子で書いていくときりがないので、私はIntelクローン(互換と言った方がいいだろうが、当時は普通にクローンと呼んでいた)のNEC製造マイクロプロセッサμPD8080Aとその周辺チップによって、コンピュータのいろはを学んだのである。つまり、8080の16進バイナリが私の基礎であるといってもいい。
このため、その後のコンピュータ(マイコン、そしてPC)もIntelの呪縛から逃れることはできなかった。さすがにいつまでも16進数というわけではなく、アセンブラ、続いてマクロアセンブラを学び、高級言語とされたBASICを「のろまで容量を食うだけの愚物」としか見ていなかった。BASICのために貴重な資源であるメモリを占有するなど、あってはならないことと思っていたのだ。
だから、DOSの登場もそういうふうにしか当初は見ていなかったが、周辺機器とのやりとり(段々、コンピュータの周辺機器も複雑化していた)に、BIOSコールやDOSコールの有り難みがわかってくると、むしろDOSがあった方がいいと思うようになり、大学で真っ当なコンピューターの講義を受けて、OS(UNIX)の素晴らしさを啓蒙されると、見事にOS信者に改宗されていた。マイクロプロセッサレベルでもIntelではなく、Motorola 68000のリニアアドレスに痺れ、一時期、転向していたほどである(ワークステーションと呼ばれていたものはほとんどそうだった)。そして、その頃にApple Macintoshを知り、店頭であれこれさわり、初期バージョンのEXCEL(皆、大文字で正しい)をさわったときの衝撃は今も覚えている。
だが、68000系の進歩があまりに遅く、32-bitへの移行は第3勢力RISCに潰され、IA-32も同様の運命を辿ると思われたが、プロセッサ内部でCISCをRISCに動的変換するP6マイクロアーキテクチャを作り上げ、Pentium Proとしてデビューした。私が思うに、IA-32と強力タッグとなったプロセッサ内部でのμOPs(マイクロオペレーション)への変換こそが、今日まで続くIntel(AMD)プロセッサの覇権の基礎と見ている。これによって、遅くて鈍間なWindowsもMacintoshを追い抜くことにつながり、競合プロセッサのほとんどを死に追いやるだけでなく、Microsoft帝国と呼ばれる状況を作り上げたと思う。結果的に、私もPC/AT互換機にDOS、Windowsという構成で仕事をするようになっていた。
面白いMobile PCが出始めたのもこの頃で、dynabook30周年というのもあったが、様々なものが登場したのは1990年代。必然的に、Windows PC(モドキを含む)に傾倒した。仕事上、Win16やWin32と格闘していたのも大きかった。
そして、真の開発現場を離れて幾星霜。Windowsは迷走し、Appleは復活し、スマートフォンやタブレットがまともな性能を持ちながら常時インターネット接続が常用できるようになって、面倒で複雑なWindowsは必要でなくなった。ソフトウェアも固定化されたインストールは求められなくなり、ネットワーク越しの機器選択権を与えられるようになり、何より強力な「フリー」ソフトウェアの存在価値も大きくなってきた。
そこで、私が求めたのは温故知新というべき、Macだった。Intelプロセッサ、UNIX(MacOS X ← NeXTStep)、Macユーザインタフェースという、私がかつて求めていたいいとこ取りの環境がこれである。iMac Proと iPad Proの組み合わせは、私の環境では最強に近い。インターネットも10G、キーボードもREALFORCEに切り替え、言うことなし。振り返れば、それなりに長い道のりだったが、ようやく理想的な環境が構築できたといったところで、今回はここまで。
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