時間が多少取れたので、久々にこちらで更新(Twitterで囀ることが簡単にできてしまうので)。昨日(12日)の朝日新聞がお詫びオンパレードだったことに対する、徒然的な感想というか、そういったものを書き殴っていく。
お詫びは、以下の3つに集約される。
- 従軍慰安婦強制連行における訂正記事でお詫びがなかったこと。
- 吉田調書におけるスクープ記事で誤った見出しを掲げ公正な報道を行わなかったこと。
- 池上さんの連載コラム記事を自社に都合が悪いとして掲載見送りを行ったこと。
このうち、従軍慰安婦強制連行記事については20年以上も引き摺る問題であり、誤った情報を国際的に「認知」させてしまったことへの「お詫び」がないという反発もあるが、それ以前の問題として長年「訂正すら行わなかった」こと、そして「強制連行はなかったが慰安婦問題の本質は変わらないと開き直り続けた」ことが反発の根幹であることを認めない(気付かない?)体質にある。要するに、自分たちは悪くなく、考えも正しいが、たまたま虚偽の情報を発する人に騙されただけで、むしろ被害者なのだ、と。そんな些細なこと(強制連行があったかなかったか、女子挺身隊と混同したかしないか等)よりも、従軍慰安婦そのものが問題なのだとすり替える。こんな感じで、他人事のように検証記事を載せれば、反発は必至であるだろう。無論、他人事なのだからお詫びなどあり得ない(苦笑)。こういう論理が新聞上層部にまかり通っている、という理解の上に立てば、残り2つの問題がこのような結果を招いたのは偶然でなく必然となる。
吉田調書については、確かにスクープしたことそのものには大きな意義がある。産経新聞など、他マスコミが相次いで取り上げることのきっかけは、内容の善し悪しはあれど、あのスクープがなければここまで明らかにならなかったのは事実である。だが、公正であるはずの報道が「記者の想いによって歪められていた」のは明らかで、長年福島原発問題に係わっていた記者だからこそ掘り下げられる記事となるという上層部の気持ちは大変よくわかるが、その記者の書いた記事を公正さの視点で糺すことができなかったのは、記者の責任と言うよりはチェック体制に問題があったとされても仕方あるまい。当たり前だが、自分自身では公正かどうかなど知ることができないからだ(客観性とは何か、ということ)。知らず知らずのうちにバイアスがかかるのは自明であり、それをそのまま新聞記事にするのはコラムのようなものは別にして、報道であるのなら許されるものではない。
吉田調書問題の本質は、一方的に東京電力の対応を「悪」として置き、その想いで調書を読み解いたことにある。さらに記事化するにあたって、都合の悪いものを排除(意図したかどうかが重要なのではなく排除したことそのものの問題と自覚できないことがさらに大きな問題)するという行為を、「編集」作業という作業工程の結果と嘯くことである。このような「公正でない記事」に対して、他マスコミからの「事実をねじ曲げた」という報道・批判等は当然の反応であるが、これらに対して「抗議書を送付するという威圧・威嚇」を乱発するという態度は、強権を持つ大新聞として権力を笠に着た行為であるのは論を俟たない卑劣な行為だとなる。
そしてとどめは、池上さんの連載コラムの掲載見送りである。誰にでも鋭い突っ込みをする池上さんは、従軍慰安婦訂正記事のおかしなところを他と同様にやんわりと論理的に指摘した。お詫びがないのはおかしいと率直に指摘もした。既にコラムは掲載見送り判断が誤りだとして掲載されているが、内容を見ればたかがこの程度というレベルであり、掲載見送りがファッショ的なものであったと多くの人に認識させた。都合の悪いものは掲載しない、という新聞として致命的なことを犯したのだ。
この掲載見送りは、池上さんのコラムだけでなく他の記事等も同様なのではないか。このような感想を抱くのは当然である。従軍慰安婦関連、吉田調書関連……、大きな問題となっているものも、結局のところ朝日新聞の体質に過ぎない。こう理解(曲解、短絡思考でも何でもいい)すれば、朝日新聞そのものが信用できない虚報塗れだとされてしまう。だからこそ、朝日新聞の多くの記者達がこの問題を重く受け止め、掲載見送りに強い反発を示したのだ。この感覚が上層部になかったのであれば、「保身第一な哀れな人たち」としか映らない。読者も含め、朝日新聞から離れていくのは必然である。
そして、ついに社長自らがお詫び会見を行った。だが、池上さんのコラム掲載見送りが大きな問題だとの自覚はなかった。言論抑圧とは思っていなかった的な発言は、それを裏書きしただけでなく、上述したような感覚が上層部になかったことを示している。一方、今日(13日)付の朝日新聞の天声人語では、以下のように書かれている。
「言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの血が流れ、苦闘があったことか。その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題をめぐる池上彰さんのコラム掲載を見合せたのは最悪だった」
さらに続けて、
「気に入らない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。「あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。古来の至言が、信頼もろとも紙面上に砕け散った思いがした」
とある。まったくもってそのとおり、であるが遅きに失したものである。池上さんのコラムが掲載見送りになったと明らかになった時点でこれが掲載されていれば、さすが朝日新聞となったであろう。いや、それはあり得ないか。どちらにしても、この天声人語にあるとおりで、もう多くを語る必要はない。あとは態度で示していくほかないのである。
といったところで、今回はここまで。
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