クリミア情勢に関して、西側諸国とロシアの対立とか言っているが、西側諸国も常に真っ当なことを言っていると限らないのは、米国をはじめとして様々な理由をくっ付けて他国に軍隊を送り込んでいる事実を見ればわかる。テロとの戦いと称して、イラクに攻め込んだり、アフガニスタン等での作戦行動など、やっていることはひどいものである。しかも、21世紀になったにもかかわらずだ。それに対して、真っ当なように見える理由をあれこれくっ付けているが、すべては米国などの利益の損得で決まっており、これは立場によって異なるものである。
これを踏まえて、ロシアがクリミア半島で行っていることは、果たして米国などの軍事作戦とどこが違うのか。決定的に異なるのは、クリミア半島の大勢が親ロシアであることで、先にあげたイラクやアフガニスタンにおいてどの程度親米国なのかを考えれば自明であるだろう。しかも戦闘機を送り込んだり、空爆などは一切行っていない。いや、行う必要がないというのが適切だろう。無論、大勢が親ロシアだからだ。
なぜ、そうなのか。これは、近代以降のクリミア半島の歴史を追っていけばよくわかる。以下に簡単な流れを示そう。
クリミア汗国(クリミア・ハーン国)は、モンゴル侵出以来のハーン位による部族国家で、それが1783年にロシア帝国に併合される。それより以前の1774年には、オスマン帝国とのクチュクカイナルディ条約によって黒海北岸の割譲を受けており、クリミア汗国併合はその総仕上げであった。クリミア汗国は18世紀以前よりオスマン帝国の傀儡(保護)国家であったので、実質はオスマン帝国からクリミア半島の支配権を奪い取ったといっていい。これよりクリミア半島は、ロシア帝国領となると同時に戦略的に重要な拠点=不凍港としての地位を得る。このことで、ロシア帝国から次々とロシア人が進出し、20世紀はじめにロシア革命によってロマノフ王朝が倒されるまでに、クリミア半島の過半超はロシア人となった。
ロシア革命によってソ連が成立すると、ロシア並びに帝国内の周辺地域にいくつかの社会主義共和国が成立する。ここで初めて、ウクライナという連邦内国家が成立する。それまではウクライナは単に一地方の名(ウクライナとは辺境の意)であって、国家としてはもちろん行政区分としても存在していなかったのである。
ソ連成立後、クリミア半島ではクリミア自治共和国(クリミア自治ソビエト社会主義共和国)が成立する。これは、連邦を構成するロシア共和国内の自治共和国であり、この時点においても引き続きロシア領だったと言える。しかし、第二次世界大戦末期の1944年、ナチスドイツをこの地から駆逐したスターリンの命令によって、クリミア汗国以来のクリミア・タタール人が中央アジアに強制移住させられる。彼らの事実上の復帰はペレストロイカ以降、ソ連崩壊後となった。
クリミア・タタール人を追放後、欧州での第二次世界大戦が終わった1945年6月30日、クリミア自治共和国は廃止され、ロシアのクリミア州となる。ここにクリミア半島はロシア帝国時代と同様に、完全にロシアの支配下となった。
そして、スターリンの死後にソ連書記長となったウクライナ出身のフルシチョフは、1954年にクリミア州をロシアからウクライナに移管する。この理由は様々なものが語られているが、スターリン亡き後の権力闘争の激しさと、フルシチョフ自身がウクライナ出身であり、ウクライナエリートを政権基盤としていたことなどから、何らかの取引があったと見るべきだろう。実際、ロシアではこの移管を違法だと決めつけている。
だが、ソ連時代の連邦内共和国同士など、他国などではなく(強制的な共産党支配による)一枚岩だったといっていい。ソ連に属さないワルシャワ条約機構のメンバー国家ですら、「ソ連のような」ものだったのだから、ソ連内の国家など意味があるはずもない。主権などないのだから。
なので、当時のロシアからウクライナへの移管は、上手い喩えではないが、多摩地方が神奈川から東京へと移管されるようなものに近いと言え、どっちに属していようが、ソ連領はソ連領だったのである。
それがソ連崩壊によって、独立国家共同体を経て、完全な独立国家にロシアもウクライナもなってしまうと、クリミア半島では再びクリミア自治共和国が成立する。そして、1992年5月5日、ウクライナのクリミア州議会はウクライナからの独立決議を採択する。その10日後、ウクライナ議会は独立無効を決議。さらにその6日後、ロシア上院は1954年のロシアからウクライナへの移管を違法とする決議を採択。ソ連崩壊後、様々な地域に起こった分離独立の争いがここでも始まったのだった。
あれから22年。こうした歴史を踏まえてみれば、いわゆる西側諸国が主張するのはどうなんだ?と思うものもあるだろう。ロシアの言い分も同じくどうなんだ?というものはあるが、こうして近代以降の歴史の流れを追っていくと、どちらか一方に盲目的に与したくないなとね。
2014年3月19日追記
こうなりそうですね。
2014年3月23日追記
いよいよ、美人対決となるのかしらん?
(c) J.M. (台湾の方? でいいんですよね)
ティモシェンコさん 対 ナタリア・ポクロンスカヤさん。
分かりやすい説明有り難う御座います。
スターリンは色々批判を受けているようですが、ソ連邦の統一を守り、自分の出身地のグルジアでも分派運動を徹底的に弾圧してドイツの侵略をはねのけた政治力には感服します。アフガンに出兵したと言ってモスクワのオリンピックをボイコットしておきながら、自ららはアフガンに出兵したアメリカは、大火傷を負って今撤退を模索しているていたらくでっす。自らの財政事情がデッフォルと寸前の綱渡りであるのにこり以上ウクライナに口田すする余裕は無いと思うのは私だけでしょうか。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/03/10 12:51