前回は、ブラウン管は遠くになりにけりという感銘を『Macは30年を経ても「最高の自転車」であり「最良の紙」』という記事から受けたが(苦笑)、さすがに林氏の文章だけあって「面白」い。今回はこれを肴にさせていただいて、私なりに勝手にあれこれ語っていこう。
Lisaは「使い始めて20分で操作が覚えられる」簡単さは備えていたが、価格的にも用意されたソフトにしても企業/ビジネス向けだった。これに対してMacは(米国での)販売価格も、利用できるソフトも一般の個人を意識しており、形も愛らしかった。
さすが、林氏。我が国でのMacintoshの価格に絶望されていたであろうことは、30年近く経ってわざわざ括弧書きで「Macは(米国での)販売価格」と断っていることからもわかる。そう、我が国でのMacintoshの価格は個人が手にするなど論外の価格であった。
人間は人の顔くらいの大きさに愛着を持ちやすい。
このくらいの強引さが林氏らしいが、もちろん大した根拠などない(仮に根拠があったとしてもここにつながるかは…)。この後にも林氏は、思い込みからの発展系としてMac Proを人の顔の大きさ云々と続けるが、まさに伝道者としての文章に相応しい。ただし、根拠などない。いつもの台詞だが、エッセイ風のものに根拠を求める方がどうかしているのだが(苦笑)。
昔はわずか400KバイトのフロッピーディスクにOSとワープロとお絵描きソフトがまるまる収まっていた。
MacintoshがHDDを搭載せず、遅いフロッピィディスクドライブだけでGUI環境で動作するMacWriteとMacPaintを動かすのは、現在のマイクロプロセッサやRAMの速度(容量ではない)をもってしても困難である。それをそれなりの速度で実現していたのは、当時の人たちがのんびりしていたからなどという理由ではなく、ROMにToolboxと呼ばれる「今風にいえばAPI呼び出し」で実行されるバイナリ(ルーチン)が焼き込まれていたからで、API呼び出しによってROM内のルーチン群を使う=読み出し速度を短くすることで、遅いフロッピィからの読み出しを減らし、さらに少ないRAMを有効活用していたのだ。つまり、400KBに何もかもが詰め込まれていたのではなく、その多くがROM(Toolbox)からの呼び出し(読み出し)によって実現されており、まるまる収まっていたという表現は妄想では済まない。これは誤りだといえる。
ところが、人間が自転車に乗るとこの順位はコンドルすらも抜き、圧倒的な移動効率を発揮するという。
ここだけ抜き出すのは「卑怯」なので、あわせて前後をご覧いただきたいところだが、比喩として説明している箇所で致命的な錯誤がある。いや、前提条件の違いと言っていいだろうか。ここで無視されているのは「高低差」で、山岳地帯のようなところでなくとも、多少の起伏ですら自転車では移動に困難を来す。妄想レベルというか、妄想レベルが尖鋭化してしまうと、周りが見えなくなってしまうが、この比喩はわかりやすい例だろう。林氏の文章はこのような「飛躍」というか「跳躍」があって、思わず「この人大丈夫か?」となってしまうのだが、伝道者であればそのくらいでないと信者を集められないというのもわかる。
マウスで操作する近代的ソフトはワープロや表計算といった事務的ソフトも含め、ほとんどがMac上で誕生したといっていいはずだ。
これは妄想などではなく事実。実際、Microsoft社がWindows上で動作するアプリケーションソフトウェア(Excelを始めとするOfficeなど)は、開発するアプローチからしてMacintosh上で始まった。Xerox社のPARC由来のウィンドウシステムではあるが、実用レベルのソフトウェア開発はすべてといっても過言ではないほどに、Macintoshから始まっている。Microsoft社がいずれWindowsでのノウハウを得ようという思惑があったとしても、である。そういう意味では、マウスオペレーションからタッチオペレーションへと移行しようとする現在、ここでもiPhoneやiPadというハードウェアとiOSというソフトウェアで先駆けを行くApple社。こういうところは素直に敬意を表する以外にない。
Macは初代の製品から、今に至るまで、ハードとソフトが一体になっている。アップルという会社がハードとソフトの両面からのブラシュアップで、この製品を「最良の紙」に仕立てているのだ。
最高の紙かどうかはさておいて、ハードウェアとソフトウェアが一体になっているという点については、歴史の流れの中で強みにもなり、また弱みにもなっていた。現在でもAndriod勢との価格競争で示されているように、ハードソフトの一体化は価格競争に弱い。水平分業が進めば進むほどこの傾向はさらに増していくが、一方で水平分業が進めばこれを適切にチョイスすることで、専用ハードウェアを作っていくことが低コストでできるようになってくる。だが、ソフトウェアはチョイスする選択肢がほとんどない。これまで世に様々なOSが登場したが、現在は大きく分けて2種類しか存在しない。Windows NT系とUNIX系。iOSもMacOS Xも、そしてAndriodもみんなUNIX系だ。そしてMicrosoft陣営のOSはWindows NT系。どちらも当初はマイクロカーネルを標榜し、考え方にもよるが、同じようなOSと言っていいかもしれない。そして、巨大になったOSは、なかなか大きく変えることができなくなっている。このことはメインフレームのOSの歴史をそのまま踏襲しているのだが、Windows系OSは、Windows Vistaから7、8、8.1と世代を重ねているが、カーネルレベルではまったく同じと言って差し支えないし、MacOS Xは動物の名前などをくっ付けてあたかも新OSという雰囲気を出そうとしているが、X(テン)であることに変わりはない。どちらのOSも10年近く変わらずにいるのである(Windows 2000やNeXTstepを思えば10年以上)。こうなってくると、一体の方が有利であるかは微妙だ。
以上、他にも気になる点はあるが、取り急ぎ今回はここまで。
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