「地図で読む昭和の日本 定点観測でたどる街の風景」(今尾恵介 著、白水社 発行)という書籍が先月下旬に発売された。著者の今尾恵介氏は、この手のジャンルの本を数多く執筆しているが「比較的」誤りの少ない著者だという認識がある。しかし、もともとこの方は地図趣味や鉄道趣味からの派生で地域歴史を語っているに過ぎず、基礎的な知識(歴史分野)に欠けている感があることに加え、東京多摩地域周辺の方のようで、多摩地域と東京・神奈川周辺、そして他地域との知識のムラ(斑)が目立つ。よって、エッセイとして楽しむ分には問題はないが、他の地方(ジャンル)に踏み込んでいくとたちまち馬脚を表してしまうため、鵜呑み厳禁となる。調べはそれなりに行っていることは、誤りが「比較的」少ないことで裏書きできるが、それを判定(執筆)するための知識ベースが貧弱なため、何を言いたいんだろう?と感ずることが他の書籍にもよく見られる(端的に言えば「説明の上滑り」)。とはいえ、誰でも得手不得手があってそんなことは自明なのだが、得意分野で成功してしまうとその周辺分野まで仕事を依頼され、それがフリーの立場であれば仕事の選り好みなどできるはずもなく、結果、こうなってしまうのかもしれない。
(本書「はじめに」に著者の言い訳として「それぞれの地形図から読み取れる情報は無数にある。もちろん私が見逃しているものも多いはずで、特に読者の地元の章では物足りない部分があることだろう。その場合は読者諸賢がさらに精緻に地域史を発掘していただくための「たたき台」として利用いただければ幸いである。」とある。2,000円弱出して売っている書籍でこれはないだろうと思うが、そもそもWeb連載だったものであるので著者に対して言い過ぎとなってしまうか。)
と前書きが長くなったが、本書は著者の得意な地域のみならず、全国に手を広げたものとなっているため、どうしても上述のように感じてしまう。そして、本書は白水社のWebページで連載されていたものを書籍化しているため、本書はまったくのモノクロであるにもかかわらず、カラーを前提とした本文説明が残ってしまっている点も残念なところ(直しているところもあるので見落としだろうが)。
では、私が得意とするところ──池上電気鉄道かかわり──でもある本書34ページからの「日本一の町──荏原町」で気になる点を列挙していこう。
本書35ページ
「東京市の旧一五区を取り囲む五郡、時計回りに荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡の各町村では人口が急増していたが、なかでも人口増加率が八二町村中で最大だったのが荏原郡平塚村、後の荏原町であった。」
(本文中、荏原郡平塚村の「平塚」に「ひらづか」、後の荏原町の「荏原」に「えばら」とルビがふられている。)
さて、ここでの注目は本文そのものではなく、あえてルビをふった箇所にある。荏原郡平塚村、にわざわざ仮名で「ひらづか」としているのだ。「ひらつか」ではなく「ひらづか」が正しいのか。そもそも、この地にあった平塚とは、今から約960年程前に新羅三郎 源義光が後三年の役鎮圧の帰途、この付近で野営していた際、夜盗の襲撃を受け多くの兵を失い、ここで死亡した兵を地元民が哀れんで葬ったのが平塚と称される塚だったという伝承に基づく。これを平塚(ひらづか)といい、江戸期以前からの地名として継承されてきたものが、1889年(明治22年)の市制町村制施行の際、戸越村、下蛇窪村、上蛇窪村、中延村、小山村及び谷山村飛地を合併して成立した村名に採用され、広域地名化した。こう見ると、読み方を「ひらづか」としたのが正しいと思えるが、同時代資料(例えば「警視庁東京府広報号外 明治22年4月11日付」)を見ると、しっかり「ひらつか」と仮名がふられている。つまり、「ひらづか」に由来はするが、読み方は「ひらつか」だというわけである。
また、間接的証拠として平塚に由来する平塚橋(交差点名やバス停名等に残る)の読み方も「ひらづかばし」ではなく「ひらつかばし」である。特にバス停名は旧来の読み方が保存されることが多いので、平塚橋の読みは「ひらつかばし」とするのが妥当だろう。おそらく著者は、平塚村の由来となった「平塚(ひらづか)伝説」を承知していて、これが由来となったのだからきっと村名も「ひらづかむら」だと考えたに違いない。だからこそわざわざ「ひらづか」とルビをふったのだろうが、却って蛇足となってしまったわけだ。
だが、現実は単純ではない。たとえ地元でそのように読むのが正しいのだとしても、巷間で定着したものがそのまま採用されることは珍しいことではない。平塚と言えば、やはり東海道の宿場町の一つである平塚がメジャーであるが、この読み方をそのまま荏原郡平塚村にあててしまうことはありがちだ。ということで、せっかくふったルビではあるが、蛇足であったとして次に進もう。
本書35, 38ページ
「村名の平塚は図の左上に見える大字荏原の字名に由来するが、ここは江戸時代から東海道のバイパスとして機能していた中原街道(図の左上)に沿った街村で、この道が品川用水を渡るのが平塚橋である。」
まず、35, 38ページとページ数が飛んでいる理由は、36~37ページに地図が入っているためで、一文として読みにくい構成となっているからか、明らかにおかしな記述がそのまま残されている(Web連載時からこのままであったなら、著者の誤認も甚だしいとなるが)。どこがおかしいかというと「図の左上に見える大字荏原の字名に由来するが」というところで、荏原郡平塚村に大字荏原など存在しない。平塚村の大字は、先に平塚村成立のところでふれた旧5村(飛地を除く)がそのまま平塚村の大字となっており、
- 戸越村 → 大字戸越
- 下蛇窪村 → 大字下蛇窪
- 上蛇窪村 → 大字上蛇窪
- 中延村 → 大字中延
- 小山村 → 大字小山
- 谷山村飛地 → 大字中延
であるので、郡名としての荏原を一村の大字名として採用してなどいない。よって正しくは、「図の左上に見える大字中延の字名に由来するが」となる。
本書42ページ
「他の区で単独区制の例はないが、やはり一町だけで人口一三万人を超える人口が決め手となったのだろう。」
これも知識不足を露呈するところ。調べればわかることだが、調べるきっかけがなければ(つまり前提とする知識ベースがなければ)調べるという行為すらままならない。本文だけ抜き書きしてしまうと意味不明なので、ここでいう単独区制の意味するところは、1932年(昭和7年)のいわゆる大東京市成立時に新たに誕生した東京市の20区について、単独町村で1区を形成したことをいう(なので区制という言い方そのものがナンセンスなのだが)。1932年、新たに誕生した20区を構成した町村は、
- 品川区 = 品川町 + 大崎町 + 大井町
- 目黒区 = 目黒町 + 碑衾町
- 荏原区 = 荏原町
- 大森区 = 馬込町 + 東調布町 + 池上町 + 入新井町 + 大森町
- 蒲田区 = 矢口町 + 蒲田町 + 松澤村 + 玉川村 + 駒澤町
- 渋谷区 = 渋谷町 + 代々幡町 + 千駄ヶ谷町
- 淀橋区 = 大久保町 + 戸塚町 + 落合町 + 淀橋町
- 中野区 = 中野町 + 野方町
- 杉並区 = 和田堀町 + 杉並町 + 井荻町 + 高井戸町
- 豊島区 = 巣鴨町 + 西巣鴨町 + 高田町 + 長崎町
- 瀧野川区 = 瀧野川町
- 荒川区 = 南千住町 + 三河島町 + 尾久町 + 日暮里町
- 王子区 = 王子町 + 岩淵町
- 板橋区 = 志村 + 板橋町 + 中新井村 + 上板橋村 + 練馬町 + 赤塚村 + 上練馬村 + 石神井村 + 大泉村
- 足立区 = 千住町 + 西新井町 + 江北村 + 舎人村 + 梅島町 + 綾瀬村 + 東淵江村 + 花畑村 + 伊興村 + 淵江村
- 向島区 = 吾嬬町 + 隅田町 + 寺島町
- 城東区 = 亀戸町 + 大島町 + 砂町
- 葛飾区 = 金町 + 水元村 + 新宿町 + 奥戸町 + 本田町 + 亀青村 + 南綾瀬町
- 江戸川区 = 小松川町 + 松江町 + 葛西村 + 瑞江村 + 鹿本村 + 篠崎村 + 小岩町
であり、荏原町以外に瀧野川町が単独で1区を構成していることがわかる。よって、「他の区で単独区制の例はないが、」というところが事実誤認である。
まだまだ他にも気になるところはあるが、確実におかしいと感ずるのは以上3点である。著者は、東京地方はどちらかと言えば得意なジャンルに入る方だと考えるが、それでもこのレベルであり、著者の得意としない他の地域に至っては「はじめに」で言い逃れせざるを得ないということなのだろう。それでも私は、本書の著者は誤りが少なく、丹念にお調べになっている方だと敬服している。要は、今尾恵介氏をもってしても地域歴史というのは扱いが難しく、他の著者が誤りだらけに見えてしまうのも無理からぬこと。いくら肩書きは立派なものをお持ちだとしても、この手の話は鵜呑みは厳禁だとつくづく思わずにはいられないとしつつ、今回はここまで。
小生の生まれた時の戸籍は東京府下荏原郡平塚村、字中延でしたので、荏原町となったのは短期間であった様に記憶しております。地元でない人に過った情報を発信する危険性を感じざるを得ません。私の妹は烏山に住んでおりますが千歳村が世田谷区になった経緯など次回に期待しております。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/10/07 17:53
今尾です。細部にわたるご指摘ありがとうございました。おっしゃる通り全般的に知識が不足しているので、これまでも諸賢に教えを乞うてなんとか執筆活動を続けられております。「ひらつか」「ひらづか」程度の問題は公文書間で異なることもありますので、どれが正しいとは断じ難いものですが、適宜判断している次第です。校正漏れもありましたね。誤りのないよう努力します。
投稿情報: 今尾恵介 | 2015/06/10 14:36
こちらこそお世話になっています。今尾様の積極果敢な執筆によって、多くの誤謬が改められているのもまた事実で、いつも感服しています。過去の資料が一部学者(しかも偏向)だけのものから、一般公開されてきていることで、それをわかりやすく解説(そして過去の根拠のない伝承を払拭)することに意義がある中、入門書のみならず、エッセイなども含め、いつも楽しませていただいてます。
投稿情報: XWIN II | 2015/06/11 07:17