東急池上線は、昭和ローカルの面影を残すといわれているが、それとは別に路線に比してやたらと背の高い高圧線が目立っている。これはいつ頃からあったものなのだろうか。
開業当時、つまり池上電気鉄道の時代はそうでなかったことは古写真から確かなのだが、少なくとも
この航空(空中撮影)写真を見れば、高圧線の影から既に背の高いタイプになっていることがわかる。この写真は1947年(昭和22年)撮影されたもので、右上側に見える駅は旗ヶ岡駅(今の旗の台駅だが、駅位置は異なる)、中央に見えるのは立会川、左下方が今の旗の台駅あたりとなる。写真に見えるこの高圧線鉄塔は、現在存在しない。しかし、少なくとも戦時中あたりまでは遡ることができるだろう。
と疑問を投げかけたまま時間がなくなったので、今回はここまで。
ありがとうございます!
昭和7年の、踏切渡始式
角度の問題もあるとは思うのですが、池上線の高圧鉄塔が背後に写り込んでおりません。(あの写真シリーズは、他のアングルのもあるのですが)
本当にいつからできたのでしょうか。
また、大井町線にはないこの高圧鉄塔
私は鉄道には全く疎いのですが、池上線にこれだけの大きな構造物をつくらねばならなかった理由は、起伏の問題でしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。 m(_ _)m
投稿情報: りっこ | 2012/03/09 07:57
現在の旗の台駅から東向き斜面の中間に住んでいた同級生から聞いた話ですが、あっという間に高圧線の鉄塔が出来たと言っていましたが、同君は既に他界されたので何時であったか確かめるすではありませんが、昭和初期にはすでに鉄塔があったことは品川区100年の戸越銀座の駅の写真に写って居ます。笹丸付近の送電線から取り込んだ電気は、一方は戸越銀座の変電所と後の大崎広小路の変電所に、また他方千鳥の変電所に繋がっていました。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/03/10 12:02
追伸
品川区100年のと戸越銀座駅に停まっている電車は旧国電6310型の払い下げの木造車ですので、この電車は昭和12年頃から鋼体化工事が始まっていますので、少なくともその前からでしょう。高圧の鉄塔は目蒲線のほぼ全線に設けられて送電線の役割を果たしていました。人口の急増で送電線建設用地の取得が困難となったために電車線を利用したのでしょう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/03/10 21:30
ありがとうございます。
改めて「品川区の100年」を見たところ、戸越銀座駅の写真は昭和7年となっていますね。
この写真のもととなっているものは、朝日新聞に掲載されたものと聞いたことがあります。なので、昭和7年には高圧鉄塔ができていたのは、確かのようですね。
この高圧鉄塔が、掛川電力(東京電力)の送電線鉄塔を併用していたということ、初めて知りました。東京電力って、掛川電力という名前だったんですねぇ。
でも、なぜ掛川??
投稿情報: りっこ | 2012/03/11 20:51