今回は、日本経済新聞Webに掲載されている「大手町は「まち」か「ちょう」か 読みで分かる出身地 東京ふしぎ探検隊(13)」の最後の方にふれられている、この件について。
「『角川日本地名大辞典』によると、近くにあった鶯橋にちなんだ名前で、1932(昭和7)年に町名となったらしい。渋谷駅から徒歩圏にありながら、落ち着いた雰囲気の住宅街となっている。渋谷区に聞いたところ、渋谷区内の町名はほとんど「ちょう」だとか。比較的新しい地名が多いようだ。」
ここだけ取り上げてしまうと文脈から「?」となるところもあるので、できれば引用先をすべてご覧戴いた方がいいかと思うが、端的にいえば渋谷区の町名の成立した歴史を踏まえれば、こんな今ひとつな結論(誤りだとは言わない)にならないことは断言できよう。
まず、ダメなのが「角川日本地名大辞典」(明記されていないがおそらく東京都 編を指す)を引用元としていること。大変残念なことだが、昭和40~50年代に編纂された(この時期に多いのは住居表示制度によって次々と旧町名が葬り去られたことが大きい)この手の地域歴史書籍は今ひとつなものが多く、誤りが大変に多い(解釈云々ではなく事実誤認が多い)。シリーズ(都道府県毎に刊行)によってばらつきがあり、すべてを見ていないので何とも言えないが、間違いなく東京都編は誤りが目につく。では、早速この項を確認してみよう。
「角川日本地名大辞典 東京都」113ページ
うぐいすだにまち 鶯谷町 <渋谷区>
〔近代〕昭和3年~現在の大字名・町名。もとは豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字猿楽、大字中渋谷字並木前・長谷戸の各一部で渋谷町の大字として成立。地名は区域内の細流に架かっていた鶯橋にちなむ。昭和7年渋谷区の町名となる。同45年猿楽町・八幡通2丁目の各一部を編入、またごく一部を南平台町・鉢山町・桜丘町に分離編入し、現行の鶯谷町となる。
いきなり読みが間違っている、というのはあるがそれ以外はほとんど誤っていないぞ(笑)。ほとんど、としたのは昭和3年に鶯谷町となったのではなく、当初は鶯谷であり、東京市編入の際に鶯谷町となったからである。で、まず気に入らないのは「1932(昭和7)年に町名となったらしい」というところ。をいをい、「らしい」とはどういうことよ…ってところだが、要するに『角川日本地名大辞典』からは読み取ることができなかったということだろう。記者が今ひとつ理解できなかったと予想する箇所は、おそらく昭和3年(1928年)に大字名・町名として成立したとしながら、昭和7年に渋谷区の町名となったという点かと思うが、これは次のように理解すればよい。
- 昭和3年(1928年)1月1日…東京府豊多摩郡渋谷町(とうきょうふとよたまぐんしぶやまち)、大字名改称及び区域変更施行。鶯谷(うぐいすだに)起立。当区域は、東京府豊多摩郡渋谷町大字鶯谷(とうきょうふとよたまぐんしぶやまちおおあざうぐいすだに)と呼称。ただし、通称上は大字を省略(渋谷町鶯谷○○番地と表記)。
- 昭和7年(1932年)10月1日…東京府豊多摩郡渋谷町は東京市に編入され、隣接する同郡代々幡町、同郡千駄ヶ谷町と合併。東京府東京市渋谷区(とうきょうふとうきょうししぶやく)の一部となる。これにより、当区域は東京府東京市渋谷区鶯谷町となる(公式に大字は外れ、町が付記)。
要するに鶯谷成立時は、市制町村制での郡部の町村における大字という位置づけであった。それが東京市編入にあたり、区域はそのまま継承されたが、町村における大字から市(区)における町(町村制における町ではない)に移行したのである。ただ、公式には町村制における大字ではあったものの、当時の渋谷町は日本最大の人口を抱える町、それどころか全国都市101市中19位の八幡市と20位の新潟市との間(大正末期)であり、郡部の町村というレベルではなかった。つまり、昭和3年の大字名改称及び区域変更は、旧態依然とした農村時代の大字・小字領域では不便きわまりないものに対して行われたのであり、大字という形をとっただけの事実上の市における町の起立にほかならなかったのである。
こういう経緯から、もう一度「角川日本地名大辞典」の鶯谷町の項目を読み直してみれば、あのように記された意味が理解できるだろう。わかっていれば「らしい」とはならないはずだが、まぁ一見さんの記者にはそこまで理解して記事を書けとは言えない(笑)。
さて、ここまで書いてくれば渋谷区内に「町」(ちょう)と読むものが多い理由も見えてくる。そう、旧渋谷町の区域は昭和3年時点で新たに起立した大字(事実上の市の町)に由来するものがいくつか残っており(残念ながらすべてではない。恵比寿地域などは全滅)、これらはすべて渋谷区成立時に大字名に「町」が付記され、これを「ちょう」と読むのである(例外は○○通となっていた大字はそのまま継承)。理由は自明で、町(まち)とは渋谷町(しぶやまち)のような町村制の町を言うことから(地元は馴染んでいたから)、旧大字に付記した町を「まち」と読まず「ちょう」とした。つまり、町村制における「町」(まち)と市における「町」(ちょう)と呼称を呼び分けたというわけである。
このように地域の歴史というのは、なかなか一般化(普遍化)などできはしない。何かと共通項を見つけて大括りしたい気持ちはわからないではないが、それではその地域の歴史を理解できない、誤った解釈となってしまうだろう。そんなことをこの記事に対して思いつつ、今回はここまで。
あらためて取り上げられると、日常何となくまちとかちょうと音や訓で呼んでいたものがはたと疑問に感じるものです。例えば町役場や荏原はまちと呼びますが、迷うこともあります。あまりにも何回も町名が変わったので、問題を複雑化しているのも事実ですが、京都や大阪と異なり歴史が浅いので混乱が生じたのでしょう。大阪でも古い町名はどんどん抹殺されていますね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2011/11/07 09:35
山手線「はままつちょう」の次が「たまち」
「まち」なのか「ちょう」なのか。
日本人というのは、こういう曖昧さの中で、生きてきたんだなと改めて思います。その辺が、外国との物の考え方と、根本的に違ってくるところかも。
何たって、寺社ですからね。お釈迦様と八百万の神様。これが同居してても何も違和感がない。
結婚式は神式やキリスト教式で。葬式は仏式で。これも違和感がない。
そう考えると我々って本当にファジーな世界に生きているなと。
投稿情報: りっこ | 2011/11/08 08:51
コメントありがとうございます。
今、作成中の記事の一つに渋谷町の町名変更について書いているところですが、作図に時間が結構かかるため塩漬け状態です。「まち」と呼ぶか「ちょう」と呼ぶかというのに統一的なルールはないものの、歴史の流れの中でいつしか呼び方が変わっていくものも珍しくありません。
そうしたものが、100年程度の短い間に確認できるのが渋谷です。今も昔も、渋谷は変化の激しい町なのだと実感しているところです。
投稿情報: XWIN II | 2011/12/10 09:50
渋谷は大山街道沿いに軍の施設があったりして早期から発展していて変化の多い地区ですので、作図も大変でしょうが地図を楽しみにしています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2011/12/14 13:17