先月11日の東日本大震災(東北太平洋沖地震)以来、大きな余震が相次いでいるが、原発事故に隠れてしまっている感が強い。とはいえ、原発も突発的な事故が起こらなくなっている(あるいは情報を伝えるマスコミが飽きてしまっている)からか、最近はもっと大きな地震が起こるとかの話が聞こえるようになってきた。
この手の予測(予知)は、実際に起こった大地震の前には「想定外」というキィワードを駆使して、学者さんを始めとする責任のありそうな人たちは逃げを打ったが、舌の根が乾かぬうちに自分の食い扶持を求めてか(笑。とはいえ学者さんは自説の主張が激しいからそんな思惑はないかも)、またぞろ「大地震や大津波が来るぞぉ」的な出てきている。だが、私としては「起こっていないものを博打的な予想屋のごとくあれこれ適当なことを宣う」のではなく、今回の原発事故で諸外国が行ってみせた「起こってしまったものに対し、それがどのような影響を及ぼすかの予測を行う」ことを行ってほしいと思う。
というのは、起こっていないものの予測というのは「想定」という箱庭の中で行うもの(言い方は悪いがお遊びシミュレーション)でしかなく、これに「想定外」のものが一部でもパラメータ(変数)として加わってしまえば、予測の「大前提」が壊れてしまうものであり、またこれを言い逃れにしやすい。その上、予防の観点からも前提が変わってしまえば(想定外となれば)対策自体が無意味化する。今回の大震災の教訓は、ハードウェア的な対策(防潮堤であるとか、予備電源とか等など)はほぼ無意味であり、ソフトウェア的な対策(どのように避難するか、誘導するか、告知していくか等など)を行う方がコスト面からも有利であることが示されたことだろう。所詮、自然をコントロールするなど無理なのだ。
地震に対してのみで言うなら、起こってもいない地震予知の精度をいくらあげても無駄だが、地震が発生してからの地震波の伝わり方や津波の高さ予測などはもっと精度をあげるべきとなる(緊急地震速報は中身は別にして考え方としては素晴らしいシステムだと思う)。プレートの動きが云々で予想屋のごとき発言をする学者さんがあるが、自分の守備範囲を今さら変えることは厳しいとは思うが、無駄なことは早いうちに卒業された方がいいように感ずる(少なくとも公費を使って研究すべきではない)。そんなことよりも起こった後、が大事だろう。
起こってからの予測が難しいのは、予測と言いつつもすぐに現実が差し迫っているので、予測結果がすぐに評価されてしまうという一点のみからでも判断を下しにくいが、これも緊急地震速報などのように空振り覚悟でやるべきだと思う。また、想定外という言い訳は現実が眼前にあるのでできるはずがなく、すぐさま変数(現実の測定値など)を得てシミュレーションを実行し、その結果を即座に判断するという、あまり「日本的な合議・合意形成」には向いていないものが求められることも困難な理由の一つだろう。
とはいえ、これが行われなかった結果が、原発事故での自国民への不法行為(健康な生活をおくることができなくなるほどの状況を放置)や諸外国からの不審を招いたわけで、脳天気な我が国政府は、原発事故最初の一週間で「すべてがほぼ終わっていた」にもかかわらず、この時期には「ただちに健康に影響は出ない」とか「安心・安全」とか「屋内退避」とか繰り返していたのだから、東京電力以上の責任を免れることはできないと見る。
SPEEDIなどのシステムがあっても精度が低いから告知しない。精度が低いのならやめればいいし、速報性を求められるものはそんなことを言ってはいられないはずだ。結局は、材料が揃っていてもそれをどう行うかという、官邸の判断ミスがすべてだろう。やはり結論はそこに至ってしまうが、部下がいい仕事をしてもそれを活用できない上司であれば、企業においても誰が悪いかは自明だ。そんな不憫を慮りつつ、今回はここまで。
コメント