福島第一原発関連のニュースが地震や津波そのもののニュースよりも大きな位置を占めているのは、目に見えないもの(不安)、というほかに被爆国としての特別な心理も働いているだろうが、もっといえば原発の安全性についての喧伝のされ方であったろう。よって、何か大きな災害が起これば、そこで安全基準について云々的なやりとりが起こり、そこで軋轢が発生する。
今回の福島原発関連については、4年ほど前に枕崎原発での事故を受けて日本共産党福島県議団が「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」(2007年7月14日付)を行っていた。この申し入れの第4項には、
福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。
柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。
とあり、まさに現在、この想定事態が、それ以上の規模で襲っているのは明らかだ(チリ津波以上というか超え)。とはいえ、想定しうるものを超える安全策というのは、なかなか企業活動の中ではできないことであるし、こうやって事実を突きつけられた中でのリスクを議論することは無意味である(以前に「保険」の話をしたが、事故が起こってから「保険」=リスクの話をしても無意味)。
なので、まったく話を聞かなかった(とされる)東電が一方的に悪いかというのも疑問符が付くし、一方でこの申し入れが「言い過ぎ」であるともいえるものではない。原発自体が万が一、の事態になった場合の影響の大きさを考えれば、安全にやりすぎはないという意見もあるが、安全を実現するには「安全といえる想定」設定にもそれなりの高いハードルを設定しなければならない。
そんなことを考えているうちに出勤時間となったので、今回はここまで。まぁ、間違いなく言えることは「電気依存の生活」だということを認識できたってことだ。
電気依存と電話機
10年程前に何となく停電時に通話できなくなるアダプタ付き電話に不安を感じて旧式の電話局側電源でも作動可能なアナログ的電話を購入しましたが、こんな形で役立つとは夢にも思いませんでした。我が家の電話回線は光を契約しましたが、同じ理由でメタリックも一本残しておきましたが同様の思いです。イスラムの世界では将来を予測すること自体神に対する冒涜であると言う思想があると聞いておりますが、正にこの世はインシャーラであると言わざるを得ません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2011/03/17 11:23