今回も回顧もの。で、採り上げるのは戦後10年経った東京都目黒区にある自由ヶ丘商店街の地図である。個々の商店は掲載されていないが、商店街を構成する個別の商店会の区域が示されおり、なかなかに興味深い資料と言える。
現在の自由が丘は、婦女子(古くさい言い方だが)に人気の高い商店街であり、マリ・クレール通りであるとか、花々の名前を通り名に採用するなど小洒落た感じの雰囲気を醸し出しているが、さすがに50年以上前はそうはなっていない。弁天通り、広小路通り、白山通り、自由ヶ丘本通りなどといった名称が見える。
だが、しかし。面白いことに商店街を構成する個々の商店会は、今もその名称を引き継いでいるものが多いのだ。旭会、南口商店街、美観街、中央会、銀座会、駅前中央会、広小路会などは、この地図にも商店会名が掲載されているが、すべて現在に継承されている名称である。通り名は洒落たものに変更しているが、自分たちのアイデンティティである商店会名はそのまま残しているとなるのだろう。
そんなことを感慨深く思いながら、今回はここまで。
自由が丘デパートの向かい側の洋菓子店モンブランの並びのそば屋のレジの後ろに昔の自由が丘の住宅地図が貼ってあり、味が私の好みでしたので二回ほど入りましたが、レジに客が居て良く見ることが出来ませんでした。まだ貼ってあるかどうかわかりませんが、一度お立ち寄りになっては如何ですか。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/10/20 18:14
コメントありがとうございます。
>自由が丘デパートの向かい側の洋菓子店モンブランの並びのそば屋のレジの後ろに昔の自由が丘の住宅地図が貼ってあり、
↑
自由が丘は、私の地域歴史研究のターゲットの一つとして数えています。よって、この手の基礎資料は既に手元に多くありまして、仰せのものについては現物を見ていないので何とも言い難いですが、おそらく町会が作成した昭和10年前後の複製版かと思います。
自由が丘については、以前にも当blogで簡単にふれたことがありますが、いずれ詳しく採り上げてみたい町の一つです。
投稿情報: XWIN II | 2010/10/31 12:18
自由が丘に関する記事を楽しみにしています。駅前の広場はもっと狭かった様に気お蒸しております。学校の帰りに途中下車してビリヤードに入って、フェルトを破って何食わぬ顔で逃げたことを思い出します。もう時効でしょうね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/04 19:10
ラジオを聞いていたら、懐かしい自由が丘の話をしていました。10月25日TBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」ゲストは寺尾聡さん。お二人ともご近所にお住みだったようでした。
モンブランの並びの「さらしん」かしらん?
田園調布フタバ近くの浄水場に小学校の写生会で行きました。その頃はまだ環八は工事もしてませんでした。
投稿情報: 田舎住まい | 2014/10/25 14:26
田舎住まい様
モンブランの並びの「さらしん」に間違いありません。
玉川水道の浄水場の近くにサンモールの修道会があり、環八は目蒲と東横の平面交差の踏切でした。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/10/28 09:40
私は昭和30年代、自由ヶ丘銀座通りで二年、三丁目商店街で五年ばかり「N書房」という貸本屋をしていました。三丁目では「亀屋万年堂」を覚えています。モンブランのならびにあった「子供服専門店」の名前が出てきません。店主の名前は「ゴロちゃん」と呼んでいましたが、ご存知ありませんか?
投稿情報: ろまねこ | 2016/10/22 09:15
今年二回しか更新していないBlogへのコメント、どうもありがとうございます。
さて、ご質問の内容についてですが、さすがにその時代の生まれではないのでよくわかりません、となります。ご容赦を。
投稿情報: XWIN II | 2016/10/30 09:12