以前、「やはりあてにできないWikipedia、その一例」として、Wikipediaの安易な引用とそれによる誤りの悲劇を取り上げたが、今回も同類のネタである。前に取り上げたのは自由が丘だったので、今回は田園調布。今は亡き、XWIN II Web Page時代に田園調布を取り上げたこともあるので、ある程度のことを知っているからと言う理由からだが、やはり首を捻る記述が目立った。
なお、田園調布 最終更新は2009年2月1日 (日) 15:07の状態を対象としている。
では、早速気になる点を引用していこう。
田園調布は、田園調布駅周辺の田園都市会社が分譲を行った地域と、この分譲に合わせて周辺の地主が土地区画整理組合を結成して宅地造成した地域の二つからなる。前者は現在の二丁目の一部(田園調布駅の東側)、三丁目、四丁目の一部と玉川田園調布であり、残りの南、本町、一丁目、二丁目の一部、四丁目の一部、五丁目が土地区画整理組合によって宅地開発が行われた部分である。前者の大田区の部分の町内会が財団法人田園調布会となっている。
田園調布の地域を説明した文章の一部である。どこが問題なのか、以下に正誤表的に列挙してみよう。
- (誤)この分譲に合わせて周辺の地主が土地区画整理組合を結成して宅地造成した地域 →(正)この分譲に合わせて周辺の地主らが耕地整理組合を結成して区画整理を実施した地域
- (誤)前者は現在の二丁目の一部(田園調布駅の東側)、三丁目、四丁目の一部と玉川田園調布であり →(正)前者は現在の二丁目の一部(田園調布駅の東側)、三丁目、一丁目及び四丁目の一部と玉川田園調布一丁目及び二丁目の大部分であり
- (誤)残りの南、本町、一丁目、二丁目の一部、四丁目の一部、五丁目が土地区画整理組合によって宅地開発が行われた部分 →(正)残りの南・本町・一丁目・二丁目・四丁目及び五丁目の一部が耕地整理組合によって区画整理が行われた部分
- (誤)前者の大田区の部分の町内会が財団法人田園調布会となっている →(正)前者の大田区の多くの部分の町会が社団法人田園調布会となっている
細かいな~と言われるところもあるだろうが、そもそも錯誤と言うべき単純なミスもある。まず、一つ目の誤り。確かに土地区画整理としての性格ではあったが、当時は耕地整理組合で施工するしかなかったため、表現するならこのようにすべきだ。同じく宅地造成と言うよりも区画整理とすべきだろう。私も素人だが、それ以上にド素人が書いた拙く、いい加減な文章だと言える。
二つ目は一見するとどこが違うのかというところだが、エリアについての書き方であり、あえて誤りとする必要性は薄い。ただ、一丁目が抜けている点は指摘せざるを得ないだろう。
三つ目もエリアの問題と耕地整理組合云々の記載で一つ目と二つ目と同じ指摘である。
四つ目は、エリアの問題以上に財団法人と社団法人の誤りで致命傷である。タイプミスなどではなく、これを記述した人はあまりこういった単語を使い慣れていないのではないかと思われる。Wikipediaを辞書代わりにしようなど、こういったレベルの低さから使えるはずもないとわかるはずだ。
(ただし項目毎の差があり、すべてがそうだというわけではない。ただ、それとわかるくらいなら辞書をひくまでもないだろうから、わずかでも低レベルの記述が混じれば、全体のレベルを問われても仕方あるまい。)
では、本命(苦笑)の歴史部分についてである。長くなってしまうので引用はひかえて、正誤表的に指摘させていただこう。
- (誤)前年の市町村制公布・実施にともない、この年、荏原郡の鵜の木・嶺・上沼部・下沼部の4村が合併して、調布村となった。→(正)前年の市町村制公布、本年施行に伴い、荏原郡の鵜ノ木・嶺・上沼部・下沼部の4村が合併して、調布村となった。
公布は明治21年というのは正しいが、施行は翌明治22年である。つまり、実施と表現するのであれば、これは公布と同年とはしないだろう。また、細かいが鵜ノ木の「ノ」はカタカナであり、ひらがなに変わるのは住居表示実施後(昭和43年)である。余談だが、東急目蒲線(現多摩川線)の鵜ノ木駅が鵜の木駅となったのは、昭和41年と町名変更よりも二年以上早い。
- (誤)1922年(大正11年) 田園都市会社、荏原郡内の洗足池、大岡山、調布村、玉川村一帯で理想的な郊外住宅地「田園都市」として宅地開発を行い、分譲開始。→(正)1922年(大正11年) 田園都市株式会社、荏原郡内の洗足、大岡山、調布村、玉川村一帯で理想的な郊外住宅地「田園都市」として建設開始。洗足地区では予約分譲開始。
田園都市会社というのは、Wikipedia内において田園都市株式会社とカッコ書きされているので、あえて書き換える必要はないかもしれない。なので、誤りは洗足池と分譲開始の二点。洗足池に由来はするが、洗足とするのが正しい。また、大正11年時点で分譲開始されたのは、洗足地区の一部のみでこれも予約販売という形であった。要は、最初の分譲開始においては、まだ整地工事が完了していなかったからにほかならない。
- (誤)東調布町の下沼部地区が田園調布一丁目~三丁目に、上沼部地区が田園調布四丁目となった。また、田園都市のうちで玉川村に属する地域は世田谷区玉川田園調布となった。ここに行政区画としての地名「田園調布」が初めて誕生した。→(正)東調布町の大字下沼部の大部分が田園調布一丁目~三丁目に、大字上沼部の全部と大字下沼部の一部が田園調布四丁目となった。また、田園都市のうちで玉川村に属する地域は世田谷区玉川田園調布一丁目及び二丁目の大部分、同区玉川奥沢町二丁目の一部となった。ここに行政区画としての地名「田園調布」が初めて誕生した。
地区という表現は曖昧なので、大字単位で表記し直した。また、大森区(東調布町)側と同様、世田谷区(玉川村)側も大字あるいは小字単位で町域を区切ったことから、田園都市分譲地=玉川田園調布となったわけではない。玉川田園調布一丁目の区域は玉川村大字等々力字六本松、玉川田園調布二丁目の区域は玉川村大字奥沢字五斗免であり、これらは田園都市分譲地と完全に一致しないだけでなく、加えて玉川奥沢町二丁目の一部にまで存在したのである。
- (誤)1970年(昭和45年) 住居表示制度施行にともなう町の境界地名地番の改正。→(正)1970年(昭和45年) 住居表示制度実施にともなう町の境界変更と街区番号等を付定。地番の変更はなし。
ド素人によくあることだが、住居表示制度における街区番号と地番を同じものと勘違いしている。住居表示制度は、町名を多く変更させたが、地番はそのまま残し(そもそも対象外)、新たに街区番号を付定したのである。住居表示制度が実施されている土地(や家屋)を売買したことがあれば、こんなことは常識だろう。
- (誤)この地は古くには上沼部村と下沼部村とがあって、1988年(明治22年)にこれらに鵜の木村と峰村とを合わせた4村が合併して「調布村」になった地域である。→(正)この地は古くには上沼部村と下沼部村とがあって、1889年(明治22年)にこれらに鵜ノ木村と嶺村とを合わせた4村が合併して「調布村」になった地域である。
西暦ミスは私もよく犯すタイピングミスである。これは責められない(笑)。ただ、固有名詞である鵜ノ木と嶺は見逃すことはできない。
- (誤)同じ1923年に目蒲線が開通し、「調布駅」が開業した。駅名はここが「調布村」村内であったことによる。→(正)同じ1923年に目黒線が開通し、「調布駅」が開業した。駅名はここが「調布村」村内であったことによる。
これも細かいが、1923年(大正12年)に目黒~蒲田間が全通し、目黒蒲田線(略称目蒲線)となったのは事実だが、3月11日に目黒~丸子間が開業した際は目黒線と呼称されていた。調布駅はこの時に開業したので、目蒲線がというのではなく目黒線が、となる。蒲田まで開通し目蒲線となったのは、11月1日であり調布駅が開業して半年以上が経過していた。目蒲線でなく、目黒蒲田電鉄と表記しておけば、まだ問題は少なかったと言える。
- (誤)地元自治会として「財団法人田園調布会」がある。→(正)地元自治会として「社団法人田園調布会」がある。
これは最初の方で示したように財団法人でなく、社団法人が正しい。せっかくリンクを設定してあるのだから、リンク先を確認して記してほしいものだ。トップページにしっかりと「社団法人」と記されているが、こういうタイプミスと思えない先入観ミスを見ると、この文章を書いた人の底の浅さが垣間見えてしまうのである。
というわけで、またしてもこういう話を書いてしまったのは、あまりにも調べ物が安易だと感じているからである。だが、Wikipediaが悪いのではない。筆者だって悪気があるわけではない。気をつけたいのは、一つのソースだけで鵜呑みにしないこと。それだけである。
なお余談だが、このWikipediaの記事を丸ごとパクっているサイトを見つけた。URLはhttp://www.tokyu-fudousan.jp/info_area_2321_080.htmlで、URLだけ一見すると東急不動産か?と思わせるが、東急不動産のURLはhttp://www.tokyu-land.co.jp/であるので、まぁどういった会社であるかはいちいち言うまでもあるまい。丸ごとパクりはともかく、引用でも誤った情報を鵜呑みにしてしまうと、このようになるという事例である。
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