前回の続きです。
話を元に戻すが、社会保険庁が誕生しても、根本的な解決ができるわけもなく、それだけの算段や予算の裏付けがなければ無意味である。法令では、年金保険被保険者が自らの申請をもって行う申請主義をとっているが、年金手帳という形ある記録物を国民に保持させてある以上、一方的に国民だけに責任を押し付けるわけにはいかない。だが、長年、この態度をとり続けてきたのが社会保険庁であり、厚生省の指示に従ってきた市区町村の国民年金担当である。こういう態度は、公務員だから起こるというよりは、上位の隠蔽体質による部分が大きい。不具合を隠そうとすれば、そこに出てくるのは理屈でなく、屁理屈である。「法令でそうなっている」という説明逃れだ。これは、説明したくても説明できない。
こうならないよう、額面上では立派な対策は採られてきた。当時、最先端といわれたシステムを次々と導入。手作業から機械作業への移行を目指したが、実態は羊頭狗肉であった。なぜなら先に述べたとおり、コスト感覚がまったくなく、どれだけかかる作業かを正しく分析、見積もりできないため、形上の予算が付けられ、本来必要なところに費用がかけられず、それどころかまったく不必要あるいは高すぎる費用で行われたりもしたであろう。その証左は、すべて随意契約であり、かつ契約内容について何ら取り交わしていなかったという一点だけで明らかである。私自身の経験からも、既に(最初に)予算ありきで、いくらくらいまでなら出せるということばかりが先行し、必要な業務量等の話がまったくできないことからもはっきりしている。
このような形で、しっかりした分析も行われず、どんぶり勘定のような見積もりでシステム構築やらデータ入力作業等を行ったらどうなるだろうか。言わずもがなで、たいていの場合、期間が足りなくなる。それに加えて、想定外のデータが多数あった場合は、これを解決させるだけの時間もない。ここでようやく公務員気質が問題になるが、いわゆることなかれ主義によって、問題は先送りされてしまう。喩えて言えば、スコップ1つしか与えられずに、たったの一人で1か月のうちに東京から横浜までの水路を作れ!と言われるようなものである。当事者なら、何かと理由をつけて先送りしたくなるのもわかる。きちんと必要なだけの資源を投下しなければ、できるものもできなくなるのは自明である。また、それが足りないと分かれば見直さなければならないことも明らかである。それを怠ってきた、というよりも問題化してこなかった、あるいは意図して問題とさせなかった(隠蔽した)。これが最大の問題点だというわけである。
これが行われなかった理由の一つ(かなり大きな扱い)に、社会保険庁の労使関係が言われている。一日5,000タイプ以内であるとか、45分作業したら15分の休憩を取得できるとか、プリンタの音が何デシベル以下にする等といった今日からみればヘンな協定であるが、これは現在の物差しで過去を計ってはいけないという恰好の事例である。まさかとは思うが、このような協定が締結された20年以上前の当時のコンピュータ端末と、現在のPCとはまったく使い勝手が異なるだけでなく、環境そのものも大きく異なっている。また、時代背景も考慮に入れなくてはならない。
例えば、電磁波防止エプロンというものをご存じだろうか。今、これをしてPCの前に座っている人を私は見たことがない。だが、20年ほど前は多くの女性がコンピュータ端末の前で作業を行う際、当たり前のように装着していたのである。端末のディスプレイからの電磁波から身体を保護(特に母胎)ということであったが、ちょっとでも電磁波に明るい人から言わせれば、電磁波は回折するので、正面やわずかな側面だけを防いでもあまり意味はない。また、発生源からわずかに離れるだけでも、逆二乗で減少するので、数十cm離れるだけでも大きな効果を持つ。この電磁波防止エプロンの発想を現代に持ち込めば、携帯電話の電磁波防止のグッズが当たり前のように市場に出回っているに違いない。つまり、効果の有無ではなく気分の問題でしかないのだ。時代背景は、気分のブレを当たり前のように演出するのである。
そして、当時のコンピュータ端末のディスプレイの多くは、もちろん液晶ディスプレイではない(当時、そんなものはなかった)。すべてが、今日なくなりつつあるCRTだが、カラーではなかった。カラーテレビの普及率が100パーセントに限りなく近づいていた時代であっても、当時のコンピュータ端末のディスプレイのほとんどは、フルカラーなど夢のまた夢であり、モノクロのものが多かった。モノクロといっても白黒ではない。半分以上、というかオフィス向けコンピュータ端末のディスプレイの多くは緑黒、つまりグリーンディスプレイ(モニタ)だったのである。
おそらく、緑が目に優しいというイメージで緑が導入されたに違いないが、自然の緑色は、複数の色が混じった太陽光に由来し、しかも反射光である。だが、グリーンディスプレイの緑は単波長の緑で直接光。こんなものが目に優しいはずがなく、現在の液晶ディスプレイと比べたら、長時間見続けるのは困難である。45分作業したら15分の休憩、というのは目にかかる負担を考えたら、そんなに無茶な要求ではない。ただ、ここで言っておきたいことは、当時の環境において定められた規定が、作業環境が変わったにもかかわらず、そのまま存置しておくことは問題である。この点は、常に念頭に置いておいていただきたいが、制定当時はけっしてヘンな規定ではなかったということであり、昔の規定を現在の尺度で論ずるのは、あまりにナンセンスだということを言っておきたい。
昔の話ついでに、例として挙げたプリンタの騒音についてもふれておこう。ドットインパクト方式のプリンタが、まだ職場に残っているところもある(何枚複写の伝票を扱っているようなところは今でも必需品だろう)と思うが、20年以上前のプリンタのうるささはこんなものではない。2m先にあるプリンタの動作音によって、隣の席の人との会話ができないというほどのうるささだったのだ。なので、プリンタそのものにかぶせる吸音ボックスなるものが、当たり前のように存在した。
昔、コンピュータは専用の部屋にあるもので、事務室内にあるという想定ではなかったため、騒音対策は二の次だったのである。しかし、事務室内での利用が進み、コピー機を改良したレーザプリンタの登場によって、騒音対策は事実上なくなった(オフィス用途で熱転写プリンタでは力不足だし、印刷物の保存性も悪かった)。つまり、このような時代であれば、事務室内に置くプリンタの騒音について規定を設けるのは自明であろう。現在の尺度で過去を見てはいけない例は、枚挙に暇がないのである。
昔話が続いて、またしても横道に逸れつつあるので、次回に続くとします。
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