役所という機関は応用などきかない。それが正しい姿であることを最高裁は支持した。タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さん夫妻が、代理出産で産まれた出生届を東京都品川区に受理するよう求めていた家事審判は、地裁、高裁と判断が分かれ、注目されていた最高裁の判断は、まったく保守的なものだった。それはそうだろう。「公」の判断とは、常にそういうものだからだ。
役所というところは、常に法令に基づいて事務を執行する。そこに情状酌量などありはしない。美談として、手数料を忘れたときにお金を立て替えてくれたり、本人確認の手段がなかった場合でも顔見知り的に証明を出すなど、当事者にとってはありがたいということになるが、これは本来、役所(行政)の権限を逸脱する行為である。当事者の自己満足(サーヴィスを受ける側も提供する側も、親切なことをした・されたと勘違い)でしかないのだ。このことが誰に対しても不利益にならないということで、それを許容してしまえば、「公」というものがないがしろにされてしまう危険性が増す。常に聖人君子ばかりであれば、法など不要なのかもしれないが(例えば、理想化された古代中国など)、現実はそうではない。様々な価値を認め合う現代であれば、なおのこと「公」の基準である法は必要だと言えよう。
そういうことから考えれば、結論は明らかだった。子の福祉を前面に打ち出すならまだしも、形式である「出生届」の受理についての可否を前面に打ち出してしまったなら、結果ははっきりしている。そこには、個々の判断など働く余地はないからだ。代理出産について、法で認めるようにという運動をまったく理解できないと否定するものではないが、やはり「やり方」を誤ったとしか私には見えない。無論、そういうことを目的とした売名行為(言い方は悪いが芸能人なのだから、こう言われても仕方ないだろう)であれば、大いに意義のあるものだったとなるが…。
それにしても相変わらずだな、と思うのは、品川区に苦情メールのようなものを出す輩である。確かに、審判上はもう一方の当事者であり、出生届の不受理は品川区が行ったものである。だが、言うまでもなく、品川区に戸籍関係の届出についての判断を求めることはできない。判断は法務局(国)が行うものである。これは、営利を目的とした販売店の店員に対してのクレームが、本社まで吸い上げられ、製造元にまで話が伝わり、改善のきっかけとなるような話とはわけが違う。ただ、品川区は国が決定した事務を行っているだけであり、それに対して意見をいう場などない(事務方法ならともかく法令等では)。なので、品川区にいくらクレームをぶつけたところで何の解決にもならない。もっとも、単なるうさはらしを行うだけなら、身近で言いやすいところではあるだろうが。
この件について、はっきり言えることは、代理出産の是非等ではなく、手続き論には個々の判断が働く余地はないということにある。その具現化が役所であり、役所(行政)に対し、手続き論の部分であれこれ期待などしてはいけないし、求めてもいけないということだ。わがままな市民の増える中、役所(行政)にはこのあたりの対応を今後もしっかりしていただきたいと思う。
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